シーズンオフにつれづれに想う

沖縄と幕張での試合が終わり、ロードレースのシーズンオフを迎えた。

最近はシクロが人気で、泥遊びに精を出す面々も沢山いて

明確なシーズンオフを取らない選手も多い。

肉体と精神の回復をその人が必要としないなら、オフは絶対必要な

ものではなく、通年をシーズンの感覚で過ごしても良いと思う。

 

人によって人生における自転車競技のポジションはまちまちだ。

遊びでやってる人、ちょっと本気でやってる人、

命懸けでやってる人。

私自身はやるなら命懸けに近づきたいと思っているのだが、

命を懸けてやってるとは言えない中途半端さが随所にある。

 

若き日は自転車の事だけ考えてればよかった。

今考えれば幸せな日々。。。

しかし今、仕事をしていると日々諸問題が襲ってくる。

心を悩ます問題、時間を取られるトラブル・・・

それらを理由にしだしたらキリが無いことも知ってはいるが、

やはり心はゆらぎ、体は取られ、流されていく…。

 

年齢の影響もある。

50歳が20歳と同じように走れるはずはない。

確実に、そして静かに忍び寄る各身体機能の低下。

これは避けられず、人と戦う前に自分との戦いだ。

 

1年前、3年前と今が同じ身体の状況なら、同じ努力をすれば

同じ結果が出るだろう。

しかし、年々衰える身体で1年前、3年前と同じパフォーマンスを

出そうと思えば、トレーニングの質・量を見直し続けて行かなくては

ならないと思う。

 

質と量の微妙なさじ加減、そして疲労のコントロール

自身のレベルを維持しようとすれば、年齢が進めば進むだけそういった

ものの精度を高めることが必要になる。

ただ一生懸命練習しているだけでは、ダメなのだ。

昨年と同じことを同じようにしていては加齢の逆流に押し流される。

 

でも、流されてもいいとも思う。

加齢で体力が落ちるのは自然の摂理なのだから。

それはそれで、ある意味美しいではないか。

ただ、流されてもいいと思った瞬間に事実流されるだろうし

若い選手と共にE1のレースで戦う事は出来ないだろう。

そこで走りたいか、走りたくないか。

ただそれだけ。

 

結局は与えられたキャンパスにどんな絵を描きたいかって事。

『こう書きたい』と自身が想いを持っていれば、誰も反対はしない。

さて、どんな絵をかこうか・・・