心を騒がせるものとは・・・

 

蒸し暑さはまだまだ続くが、日の出は遅く、日の入りは早くなり

確実に季節は秋に向かっている。

朝練をしていると、わずかな気温や湿度・・・季節の変化を肌で

感じることが出来る。この貴重な感覚に浸るために朝練をしているの

かと錯覚してしまう。

 

朝は静かで車も少なく快適に待ち合わせ場所に向かう。

その静かなる進行に水を差すもの…

BB?からの異音。

カチカチと謎の音だ。

多少のメンテは自分でするので、BBをばらしてグリスアップし組み付けて

走るのだが、しばらくするとまたカチカチと音がする。

 

仕事で建物の管理をしているが、音の問題が意外に大問題に発展することがある。

足音、話し声、ピアノなどの生活騒音だ。

そもそもこういった問題を複雑化させるのは個々人の感覚の問題だ。

気になる人は通常の音でも気になるし、気にならない人は全く気にならない。

音を出している人に注意をしても、そもそも悪いと思ってないのだから

なかなか改善をしない。

しかし、被害を受けていると感じている人は日々改善しない騒音に苛立ちを深め、

最後にはニュースになるような刃傷沙汰が繰り広げられる。

 

昔、幹線道路沿いのマンションを検討しているお客さんに『前の道路の

車の音がうるさいですね』とつい営業としてはNGワードを言ってしまったことが

あるのだが、なんとそのお客さんは『そうですか?賑やかでよろしいやん』と

言ったのだ。

正直これには驚いたのだが、こう言ったことはそれぞれの感覚に相当の幅が

あり、こちらからネガティブなことを言う類のものではないと言う事をこの時に

学んだ。

 

程度の問題だが、私自身は生活騒音はさほど気にはならない。

人が生活をするということは音がするものだし、お互い様だと思うからだ。

しかし、話が自転車になるとそうはいかない。

 

自転車から発生する異音は、どこかの部品が故障しているイメージがふくらみ、

さらにそれが原因でペダルに負荷がかかっている想像へと発展する。

想像がそこまで発展するともうだめだ。

ついには、一踏みごとに発する異音が原因で千切れたのではないかという

お門違いで、お笑いな決めつけにへとたどり着く。

 

これが自身の自転車だけでなく他人の自転車も気になるからたちが悪い。

よく気になるのは、チェーンの油切れの音だ。

前を走る選手のチェーンから”キュラキュラ”と音が聞こえると心の中で

『戦車かよ!』と突っ込みを入れている。

 

人は音から少なからず影響を受ける。

自分の感性に合う音楽はテンションを上げたり、気持ちを落ち着かせるだろうし、

川のせせらぎや、風に木の葉が揺れる音を不愉快に思う人はいないだろう。

 

自転車は無音がいい。

風の音と息遣い、シフトの音、そして最後に嗚咽があれば最高だ。

さて、残り少ないロードシーズンもうひと頑張りだ。