春の雨が桜を散らし、植物に命の水を与える。
先日、卒業で涙した若者が、新しい環境に胸を躍らせる。
春は良いな。
希望と躍動の季節。
話しは変わるが、自分も去年”卒業”を自覚した。
去年の春・・・長島スパーランドで。
そこは富士急ハイランドと並び称される絶叫系アトラクションの宝庫。
子供に付き合わされて、やたら沢山の絶叫モノに乗ったが、
自分が想像しているより、ずっと恐怖を感じる。
平常心の中で恐怖心を楽しんでいると言う状態でなく、
パニック的に恐怖を感じ、心から『もう乗りたくない』と感じた。
帰りのゲートをくぐり、どうしても乗れなかった
「スチールドラゴン2000」を横目に見ながら決意した。
『もう絶叫系は卒業』しよう。
恐怖を楽しむのではなく、心から怖い思いをしてまで乗らなくていいだろう。
もう20年以上前…
今でも、心に刻まれ忘れられない先輩の話し。
その先輩は自分よりだいぶ年上で、私が高校生の時代に当時の実業団
(プロ)チームを引退し、その後は趣味程度に競技を楽しんでいた。
先輩はピストを中心に走っていた選手で、プロ引退後もピストを中心に
レースに出ていた。
その先輩が有る時、『競技はもう引退する』と寂しそうに言う。
もうその時は一線で頑張る選手ではないのだから、”引退宣言”まで
しなくても良いのではないのかと思い『ええっ、何でですか?』と尋ねると
『ピストで団体で走ってる時に、前が狭くなった時にバックを踏んだんよ』
※ピストにはブレーキが付いてないので、速度調整の為にペダルを逆回転 の方向に力を入れる事を『バックを踏む』と言う。前が詰まって、バックを踏むのは当たり前の行為ではあるけど、先輩が
違和感を感じたその瞬間は本人にすれば”そこはバック踏んだらダメな時”
だったようで、その瞬間に『ああもう競技は引退やな』と感じたそうだ。
そこは、本人だけが理解できる感覚。
合ってる間違っているの話しではないだろう。
今年の舞洲クリテは雨だった。走り始めこそ降っていなかったが、
途中結構な振りになった。
そこで感じた違和感・・・。怖い。
選手に適度な恐怖心は必要だろう。当たり前の事だ。
恐怖心が無ければ無用な落車を起こし、選手生命どころか命を縮める。
しかし集団でレースをしている以上、コーナーでビビり、少し離れては
詰めるような走りは無駄に脚を使うだけでなく集団走行に馴染まず、
他の選手にとって迷惑なものだ。
百歩譲って・・・コーナーリングの技術は人それぞれで、そんな選手も
いるとしても、収まらないのは本人の違和感だ。
昔何でもなかった事。いや、標準よりうまいと思っていた事がうまく出来ない
もどかしさ。。。いや、喪失感が心から離れない。
週末の白浜は晴れるだろうか・・・
天候がいかにあっても、皆同じ条件で走っている。
天候もレースの内だから、ウエット路面云々は泣き言でしかない。
でも、やっぱり晴れて欲しいよな。