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法話に心を打たれる

 

先日叔母が亡くなった。

調子が悪いなと思った時にはすでに手遅れで

医者から淡々と余命を宣告された。

転移が各所にみられ、緊急を要する部位を

切除する手術を受けたが、結局宣告された余命より

ずっと早くこの世を去った。

 

手術してからはずっと調子が悪く、今でもあの手術は

なんか意味があったのかと思ってしまう。

 

叔母は生涯独身で大きな会社の事務職を定年まで

勤め上げ、数年前に本格的に年金暮らしに入ったばかりだった。

これからゆっくりと、余生を楽しみたいと思っていた矢先の

余命宣告だった。

 

今日お寺で百箇日法要が執り行われた。

身近な親戚が集まり、生前の叔母を偲んだ。

法事が終わり、お寺さんからの法話があった。

 

曰く・・・

生きているのは偶然、死は必然。

生まれたときから、いずれ死ぬことは決まっており、

今、偶然生きている。

生かせて頂いている。

 

人は生きているのを当然と思い日々を過ごすが、

実は偶然、奇跡の上に成り立ち今を生きている

それを突然の死を以て故人が教えてくれた。

人生は突然幕を閉じる。

 

「一日の空過(くうか)はやがて一生の空過となる」

そんな言葉を教えていただいた。

一日を無駄に過ごしていると、やがて一生が無駄になると

言う意味だそうだ。

 

生が偶然の上に立脚し、来年どころか明日すら

分からないのが人生ならば、毎日は愛すべき

一日であり、貴重な一日だ。

 

そう思って自分を振り返れば、何ともいい加減な

時間の使い方であり、いい加減な人生観だ。

少しづつでも改善して行かねばなるまい。

叔母さんが命を懸けて教えてくれたのだから。