良くも悪くも選手時代は成績的に安定していた。
上位入賞は少ないが、かなりの確率で着に絡んでいた。
言い方を変えれば、さえない成績が多かったとも言える。
登りがそれなりに強かったことと、体の小さい割にゴール前が強かったことが
有利に働いたと自分なりには分析している。
自分と同様か、それ以上に強かったのにゴール前で後退し、成績を残せなかった
多くの競技者がいる。
ゴール勝負に関しては練習の要素もあるのだろうけど、親から与えられた素質の部分が
多いような気がする。
ゴールスプリントが出来る脚質に生まれたことを親には感謝しなければならない。
日本で初めての世界選手権を秋に控えた全日本選手権。
試合のサブタイトルは『世界選手権代表選手選考会』となっている。
与えられた最後のチャンス。
自分なりにやれることはやってきた、練習、食事、休養、調整。
今は逆回りでジャパンカップなどで使われている世界選手権本番のコースを走る。
距離174キロ。
コース、斜度を考えれば十分にきつい。
もう展開は覚えていないが、結果がすべて。
15位・・・これが実力。
本気でやった。
フロックの無い世界、完走者は全員実力者だと思う。
世界選手権は会社の皆とバスに乗って、観戦しに行った。
業界人としてかなりグレードの高いパスをもらっていたので、バンクも内側で自由に観戦し、
世界の一流選手を間近に見ることが出来て幸せではあったが、やはり参加がしたくて頑張ってきた
大会を観客として見ていると言う違和感は最後まで消えなかった。
引退試合となったツールド北海道。
最終日にゴールラインを通過したら、自然と涙が溢れてきた。
ゴールラインを過ぎ両手を離して、天を仰ぐ。
勝利者のように。
一人の競技者の競技人生が札幌ステージのゴールを切ることで幕を閉じた。
求めて、求めてやまなかったものは最後まで手に入れることが出来なかった。
16歳の少年時代から求めていたのは常にチャンピオン。
実力からは、人は笑うかもしれないが、それに全てをかけてきた。
ああ、これで本当に終わってしまうんだと思うと、理解できない感情で胸が一杯になり、
それは涙となって、溢れた。
しばらく気持ちが落ち着くまで、クールダウンを装って一人でいた。
少し一人でいたかった。
夜はお疲れ様で、サッポロビール園で飲みまくり。
ほとんどのチームがここで打ち上げをしていたので、大宴会だった。
店を出たところで、引退を祝して胴上げをしてもらった。
スポーツマンは皆、気のいいやつばかり。
複雑な心境とは別に、ゴールラインを切った時に“無事終われた” ”五体満足で引退できる”との
想いもあった。
どこまで慎重に走っても、車の走る道で練習したり、レースに出ている以上は落車や怪我の可能性は
何時も付きまとう。
それを恐れて弱気なレースをしてきた訳ではないし、どちらかと言えば、”攻めの走り”をしてきたつもりだが、
いつも心のどこかで、怯えていた。
その恐怖から解放されたことが正直、うれしかったのを覚えている。