自転車競技との出会い 桑原後期

2年間の停滞期と新たな気持ちで取り組んだ4ヶ月の朝練。

練習時間が十分有った2年間と時間が少なくなった4か月と言い換えることが出来る。

時間は限られている方が、良い場合が多い。

それは誰しもが、本当は知っていることだと思う。

しかし・・・

 

近畿、西日本の入賞を機に、週2回の練習時間を頂ける事に。

基本的には火曜日、木曜日だったと記憶している。

時間は3時からで、重要な時期は昼からの時間をもらっていた。

 

練習時間ももらい、前年の成績から、自分自身も大いに期待して挑んだ桑原2年目。

近畿ロードは展開に恵まれ優勝した。そして全日本選手権は10位。

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3年目は全日本実業団棚倉大会で2位が主な成績。

この間にはオーストラリアでの10日間にわたるステージレースや中国遠征2回等、

たくさんの貴重な経験をさせてもらったが、年を追うごとに成績(入賞率)が下がり、

もう、このままでは仕事中の練習時間を返上しないといけない所まで追い込まれていた。

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昼錬の疲れの為に、朝練を休んだりで今思えば、念願だった昼間の練習時間だが、

それを獲得したために、練習の連続性がおかしくなっていたのかもしれない。

 

中小の自転車製造会社において、表面的に何ら生産性のない自転車競技

会社の時間と、お金をつぎ込む事は、なかなか出来る事ではない。

なかなか出来る事でない事を、専務の判断でしているから、社内から不満の声が出る。

『あいつが勝ったら自転車売れるんか?』 『忙しいのに練習いくんか?』とか。

もちろん、直属の上司を含め応援してくれる方々も沢山いたが、一般の工場労働者の

方々に、自転車企業がチームを持つことの意義を理解してもらうことは難しく、

たまに言われる、悪意なき嫌味も、成績の出ないときは酷く心に刺さった。

 

成績不振だった3年目の暮れに、専務から『君はサンツアーに行きなさい』

『ウチにいたら伸びないから』と思いがけない言葉。

自社の選手を囲い込むことより、会社にデメリットがあったとしても、選手を伸ばすことを選んだ

専務の決断は今でも頭が下がる思い。

選手としては練習環境が良くなる、有り難い投げかけではあるが、恩のある会社や専務から、

強くなりたいからと転籍するのは葛藤があった。

しかし、最終的には強くなりたいという気持ちが勝り、サンツアー行を決意することに。

そして来季から良い環境で頑張る事になるかというと・・・

事は、そう簡単には進まなかった。

大人の事情・・・