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30年以上前に置いてきたものとは・・・

 

若かった選手時代に海外や日本で好きなだけ

練習をして、試合に出る生活に恵まれた。

強くなりたくて、うずうずしている、血気盛んな選手にとっては

涎が出るぐらいにうらやましい環境だったと思う。

 

しかし、自分自身が完全と思える練習をして試合に臨み

納得の行かない試合を繰り返せば、それは精神的にきつい。

良い環境で走らせてもらっている裏返しだ。

 

時間が無くて距離が乗れないとか、忙しいとかの

逃げ道はない。

時間が有り、どの様な組み立ても、本人に委ねられているから

自分で考え、組み立てて、結果を出さなければならない。

最後は結果が全て。

 

もうこれ以上走れない、レベルアップできないという

実感を自分自身が感じた。

それが若き日に自転車を降りた理由だ。

現状維持ならあと10年以上やれただろう。

ただ、そこは自分の求めるポジションではなかった。

それだけの事。

 

今現在、自分基準でかなり一生懸命練習をしている。

社会人としてどう?のレベルで何時も競技の事を考えている。

確実にフリーで走っていた18歳から19歳のころよりも、

高密度で走っているが、やはり今の自分と比べて

そのころの自分の方が山のタイムは良い。

 

データーは残酷だ。

17歳の自分と、50歳前の自分が比較される。

何もわからず、取りあえず走っていた17歳の自分と、

経験を積みノウハウを蓄積した50前の自分。

こんなに頑張っても、17歳の自分の1枚落ち。

19歳の自分の2枚落ちだ。

 

加齢とともに体力は落ちる。

データーで示さなくても誰でも知っている事。

同じ刺激を体に与えても、同じ結果は帰ってこない。

勢いよく走っていた若い時より、故障や疲労回復の事を

常に頭に入れていなければならない。

寝れば回復するのは今も同じだが、時間がかかるのだ。

 

人生最速は30年以上前に置いてきた。

多くの選手が得られる、苦しい練習の対価・・・

いくら頑張っても人生最速の快感は

もう手に入れる事は出来ない。

残された私のご褒美はなんなんだろう・・・

 

選手をやっている以上は強いことが正義。

理屈は要らない。

勝利を求め、努力する過程に意味があるのは確かだ。

しかし、それは次元も視点も違う話だ。

 

最善と思える練習をして、試合にそれをぶつける。

ご褒美は後からついて来るだろう。