この何ともならん波との長き腐れ縁

世の中はままならん物だと言う事は、流石にこの歳になると受け入れている。

受け入れながらも、どう裁き、どう馴れ合っていくか・・・

しかし、自分の体ぐらいは、自分のコントロール下に置きたいものだが、実際はこっちもままならん。

 

今日も朝練へ行く。

昨日の今日で申し訳ないが、昨日書いたプログラムは調子を上げていきたい時のもの。

今は私はシーズンオフ。

気が乗ればもがくし、気が乗らなかったら乗らない。

でも、来たる時に戦える状態は維持したいので、落とさない程度には乗る。

走り始めは風が強いからスピードが乗らないのかと思ったが、いつもの丘を越えた時に確信した。

今日はとっても調子が悪い。

試合もないこの時期に調子が悪いところを無理して、もがくほど若くないので、あきらめの境地で

垂れるがままに峠を上る。

踏み踏みしながら考える。

なぜ、調子に波が起こるのか・・・。

実は昨日は二日酔いで休養日じゃなくて、休養日なので二日酔い。

休養日前だから意識的に飲んだ。

そして、昨日の晩は朝練を意識して缶ビール1本のみで、早目に寝た。

まじめに仕事をして、まじめに帰宅。

いらん遊びは一切してない。神に誓います。

でも、全く踏めない・・・なんで?

こんなにまじめな生活してるのに・・・

そもそもいつから、このコントロールできない波に翻弄されるようになったのか。

高校生の時に、こんなに波が有ったのか?

なかった気がする。

調子が悪くても、疲れてるとか寝不足とかもっとわかりやすい状態だった様な。

サンツアー時代は確実にあった。

スイス時代にもあった。

一つの仮説として

 

調子のいい状態は、肉体的にはかなり特殊な状態で、踏めないぐらいが常態なのでは?

だから、上げれば上げるほど谷が深くなる。

谷が深くならないようにするには、常態の底上げが必要なのでは。

ベースが上がれば、谷は浅くなる。

ベースが上げれないのは選手としての器の小ささ・・・

 

器の大きい選手に憧れる。

いつも変わらぬ調子で21日間を駆け抜ける。

 

答えはサドルの上にある、そう信じて明日も朝練。