私が引退したのが1990年秋。
このころは、プロ、アマには厳然とした”壁”があった。
自転車に乗る事のみで収入を得ている者をプロと呼び、そうでない者をアマと呼んだ。
日本にはプロロードチームは無かった時代。
自転車チームに大きなお金を広告費としてつぎ込むには、まだまだ自転車は
マイナースポーツであったし、そうした文化も熟成されていなかった。
私はクワハラやサンツアーと言う企業に勤め、その業務の一部として自転車レースを
行っていた。
そう言う選手を私たちは実業団選手と呼んでいた。
クラブチームの選手と区別する意味で、ファクトリーチームと言う呼び方もしていた。
時代は変わり、自転車を中心として生活している選手はプロと呼ばれるようになったようだ。
そして、プロだけど、会社に勤めていると言う、変則プロも生まれた。
サンツアーやクワハラでは給料をもらい、就業時間中に練習へ行き、自転車、ウエア、
部品は供与され、試合へ行けば代休がもらえた。
そういった待遇を受けていたので、カテゴリーはアマでも、少なくとも自分はプロであるとの
自覚を持って選手活動をしていた。
選手それぞれに捉え方が違うのは当然だとしても、、少なくとも恥ずかしい走りは出来ないし、
当然、結果を出さなければならなかった。
当時、金剛や水越峠を練習していると、時としてストリートファイトを挑まれた。
練習の目的が追い込みでない時は、全く相手にしないが、真剣に踏む練習をしている時は
受けて立つ。
受けて立つ以上は背中に看板を背負っているので、負けることは許されない。
実際は、ヒルクライムでは実業団登録すらしていないスペシャリストが存在しているので、
負けるときは、負けるのだろうけど、選手時代私は幸運にもそういった”キラー”に喰われることなく
過ごせた。
『練習で負けるのはどうでもいい、試合で勝てばいいんや』と言う指摘や批判が有るのは承知している。
否定はしないが、憧れの実業団(プロ)ウエアを着た選手が、簡単に千切れる姿を見せてはいけないと
私は思う。
変な言い方だが、プロ選手とE1の上位選手との力の差はそう大きくないと思うが、やはり大きな違いが有る。
その元となっているのは、プロとしての自覚だと思う。
-----”選手で生活をしている” ”俺はこの道で生きていく” ”憧れを持って見てくれている人がいる”-----
肉体的な素質を無視して言えば…アマであっても、プロと同様の自覚・・・その境地を得た者は、
やがてプロと同様の力を手に入れると思う。
精神が肉体を動かしている。
最後はどれだけ求めているかだと思う。