人間楽な方に流れるでしょう⇒正解

先日、昔の友人と練習した時に、心拍とケイデンスの管理の話になった。

友人曰く、心拍が上がってきたら、ギアを重くするという。

始め聞いたときは、聞き間違ったと思った。

心拍が上がれば、苦しいのだから、軽いギアで筋肉への負担を軽くするが、

正しいのではないのかと。

友人の説明では、心拍が一杯になってきたら、重いギアを筋肉で踏んで、

心肺を楽にすると言う事らしい。

本当なのか?

 

友人にも話したが、感性のある競技者が有る程度自転車を乗り込むと、

自然と心肺にとっても筋肉にとっても、一番楽なポジションとギアを選べる

能力が付くのではないだろうか。

 

100㎞とか200㎞とかを消化した後の向かい風や峠を走るとき、

脚は乳酸まみれになり、人は少しでも楽なギアや踏み方を常に探す。

切れるか切れないかの瀬戸際でローテーションを繰り返している時も同じ。

心肺が一杯になれば、自然と心肺が楽になるギアを選択するのではないのか?

筋肉が限界になれば、少しでも脚が楽なギアを上げたり、下げたりして探すはず。

悲鳴を上げる肉体は、苦しさから逃れる方法を全身全霊を傾け探しているはず。

 

ガーミンをつけると勝手にケイデンスも表示されるが、参考にしたことはない。

いつも思っていることは、重いギアを踏みがちなので、

 ”少し軽めのギアで回して行こう”。

ギアについてはこれだけ。

 

何回転と言うより、一番脚と身体が楽と思えるギアを選ぶ。

別の言い方をすれば、最大効率を目指すエコな走り。

これが前回、淡路島で若者と比べて最強でない私が、最終の局面で脚を残せた

理由の一つではないのかと。

 

パワーの管理は使いようによって、意味があると感じているが、ケイデンス

心拍に関しては感性を磨いた方が良いと思う。

どうせ、レースになればケイデンスや心拍なんて見ないのだから。

 

こんなこと書いたら、時代遅れの指導者って言われるんだろうな。。。