切れ味鋭い刃物より鉈が良い。

 

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。

最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」

ダーウィン ダーウィンの著書には上記の記述が無く、後の創作とも言われている

 

前回のブログで”精度感を高めている”と書いた。

なぜ? もちろん生き残る為。

厳しいレースで成績を残すために、変化を強いられる。

変化せずに、若き日と同じことを漫然とやっていれば淘汰される。

 

優れた経営者にとって、朝令暮改は当たり前。

取り巻く環境が変化すれば、対応も変化する。

また、人である以上間違いは都度起こる。

間違いが間違いであると解れば、即座に対応し修正する。

変化し続ける事、それが生存すると言う事だ。

 

自分が行った判断を否定することに抵抗感を持つばかりに

判断のタイミングを逸し事態をさらに悪化させる。

朝令暮改は変化に対応する素早い経営判断の事だ。

的外れでなければ・・・。

 

話しは変わるが、寿司屋さんの包丁を見たことが有るだろうか。

プロの道具だからいつも完璧に研がれて、錆にも気を配り

ピカピカに輝いている。

寿司を摘まみながら見ていると、仕事によって小さな包丁を使っている。

ある時大将に聞くと、驚くことにその小さな包丁は元は横にある

大きな包丁と同じ大きさだったと言う。

毎日毎日研ぐことにより、摩耗し小さくなる。

当たり前の理屈だが、一般家庭の包丁で経験する事ではない。

 

先日、今の自分の状況を刃物に例えて”研ぎの段階”と書いた。

自分の感じている感覚は、痩せて薄くなった刃物だ。

年々刃物は小さくなり、薄くなる。

そんな刃物を鋭く、丁寧に研いでいる感覚。

研いでいるのでいつでも切れは鋭いが、実は薄くて脆い。

切れは良いが、大きく厚い物には歯が立たない。

 

一人の競技者として願うのは、薄いキレの良い刃物ではない。

求め続け、手に入れられず、今は憧れに変わったもの・・・

少しキレが悪くても、あらゆる物を切り落とす、鉈(なた)や斧。

切り方や、使い方が多少間違っていても、振り下ろせば切れる。

小枝なんて一刀両断に。

作戦や技術なんて吹き飛ばしてしまう、そんな芯が太くて、

野性味あふれる走りに憧れる。

kansou-121105-1 http://www.utihamono.com/nata/koshinata-k.htmlより

●ここから一人で行くか?まだレースも半ばだぞ。 ●アタックするでもなく、先頭を行く後ろで集団崩壊。 ●食事、機材に無頓着で細かい事を気にしない。 ●並みの合宿なら太るぐらいの強い胃腸 ●どんなところでもすぐに安眠し、回復力が強い

書けば書くほど自分から遠ざかる選手像だ。

悲しくなる。

 

生きるためには変化をしなければならない。

成績が欲しければ、最良の結果を出せるように

変化をし続けなければならない。

 

何時も練習日記を書き、やっている練習を検証し

何をすべきか、何が不足しているかを考える。

1年目と3年目では必要なものは違ってくるだろう。

考えて試す。良ければ続ける。

日々考え、日々改良。

 

鉈には成れぬ刃物だけど、手入れだけは怠らないでおこう。

さて、週末だ。

研いだ刃物の切れ味でも試しに行くかな。