練習の結果に意味を見出す

 

西チャレが週末に近づいている。

チーム員に試合に向けての調整法を聞かれたので、少し書いてみる。

 

正直、対象が人間の体だけに、全ての人に正解と言える方法は無いと思う。

しかしながら、その人にとっての正解を導き出すための方法はある。

それは日々の練習から導き出された経験だ。

 

ずっと練習をしていると、ちょっと自分でも変だなと思うぐらい踏める日が有る。

山を登れば、記録を更新し、競り合えば負けない。

いつもの丘がなぜか苦しくない。

そんな日。

そんな日を、試合の日に持ってくればいい。

 

練習だから、雨の日は休んだり、時間が無くて距離を乗らなかったり、

逆に前日に長距離に行って疲労してたり、スプリント練習の次の日だったり、

偶然または意図的に色々なパターンで練習を行うと思う。

そこに偶然あらわれる、好調の波。

これを捉える。

 

好調の波を捉え、意味のある事にするには、日々の練習日記が不可欠だ。

練習の内容、メンバー、タイム、ワット数、心拍等、自分が基準とするデータを

残していく。走りの感想も書くといい。

自分的に良いと思う走りが出来た日は、マーカーで色を変えてもいいだろう。

そうすると、ある程度の法則性が見えてくる。

『成る程、この練習の後に好調が来てるのか!』と。

 

法則性が見えれば、第二段階はその状況を意図的に作り出し、

人体実験をする。

出来れば、週末のセミロングやイベントランに合わせて。

そこで、思う走りが出来れば、実験成功。

それがあなたの実力をすべて出せる状態にする調整法。

 

いくら調整したからと言って、実力以上の物は出ないし、奇跡は起きないけど、

苦しい練習で培った力は、全て出したい。

『何かわからないけど、今日は脚が張ってダメだった・・・』とは

誰も言いたくないだろう。

 

ここまで書いて今更だが、これだけやっても体は裏切る。

裏切る時もある、というべきか・・・。

私自身、そうやって導き出した私だけの調整法でいつも試合に臨んでいるが、

いつも最良の状態で走れているわけではない。

思い起こせば、数多くの試合でズッコケを演じている。

 

それでも、確定的な調整法が無い以上、この方法を信じて今年もやるしかない。

今日も昨日と同じ結論だな。

 

勝利の女神さま、たまには微笑んでください。