脚は口ほどにものを言う

 

金曜日、土曜日でチームの合宿に行ってきた。

普段一緒に走る機会があまりない方と、一緒に走る。

広く信号の少ない快適なコースを、思い切り走る。

 

他の人と一緒に走れば、自分が今走れているのか、

走れていないのかは、一目瞭然。

『我ながら、結構いけてるな』とか『こんなはずでは…』とか

色々な感想が有ったようだ。

対人の練習で後れを取るのは辛いことだが、

レースに出て初めて『全然走れません』となるよりは

今気づく方が10倍良い。

 

如何なる練習をするのも、現状の認識がまず基本。

自分に足りている物、自分に足りない物を知る。

千切れて、一人で向かい風の海岸線を走れば、

考える時間、感じる時間はたくさんある。

結構走れる実感を得た人は、更なる飛躍をして欲しい。

予想以上に走れなかった人は、くさることなく、悔しさをばねにして欲しい。

 

誰かと競り合い、肉体と精神の限界域を彷徨うといつも感じる感覚。

”脚で会話をする”

私の個人的な感覚だが、選手にこの話をすると

追い込む選手には理解のできる感覚のようだ。

 

元気な時は脚は何も伝えず、聞く耳もないが、意識が朦朧とするほど

きつくなると、お互いの走りの意図や想いが伝わる。

脚が語りだす。

 

いかなる社会的な防御壁も心の鎧も投げ捨てて、

極限域で純粋にペダルを踏むと、脚が語りだす。

口は嘘をつくが、限界域で交える脚は嘘をつかない。

 

脚で会話し作られる人間関係は、普通何年もかけて

積み重ねばならない心の繋がりをほんの一日で創りだす。

大人になって、心から気を許せる仲間はなかなか出来ないが、

同じ釜の飯を食い、同じ苦しみを味わい、同じ達成感を得られれば

あっという間に心が通じるってものだ。

 

ようやく今日になって体に蔓延していた気怠さが抜けてきた。

回復に中二日かかった。

明日は走るつもりだったが、どうやら雨の予報だ。

合宿からこっちしっかり休んだからな・・・。

明日は久しぶりにローラーでも乗るかな。