電話の主はサンツアーのH先輩。
おふざけの好きな先輩だけど、体格の不利を感じさせないスピードで
ポイント、ロードの強さは素晴らしかった。
いつも笑顔で、その中に競技者としての厳しさを持っている方です。
電話の内容は簡単に言えば『サンツアーで走らないか』ってこと。
これには、一度は目標を失いさまよっていた魂が揺さぶられた。
サンツアーで走る事は高校時代からの憧れだった。
しかし、帰国の経緯を考え、迷いに迷った。
そして出した結論は、走る。
海外で夢は獲得できなかったが、ただ行ってきてだけではなく、
色々な事を学んできた。
チームでの動き、レースの走り方、練習の仕方。
もう一度これを整理し、理想の状態で練習し試合に挑みたい。
海外で得た知識、体験を日本で試したい。
そんな思いが、体の内から湧き上がってきた。
ただし、会社側には『2年間走らせてください』と伝えた。
選手として取ってくれると声をかけてもらっているのに、自分から条件を
付けるのはどうかと思ったが、もう3年も、5年も走れる気がしなかったし、
期間を設け、背水の陣で挑むことで、メリハリのあるよりよき競技生活が
出来る気がした。
その当時、1990年に日本で初めて世界選手権が開催されることが、決定されていた。
難しいのは承知の上だったが、日本での世界選手権出場を目指して走る事になった。