2008年秋にぼちぼちと乗り出して2009年に実業団レースに参加しだした。
1990年に引退して中18シーズンお休みしていたことになる。
その間機材は進歩を重ね、変速はWレバーからブレーキレバーへ移動し、
ホイールは完組10速に。鉄のフレームは駆逐されカーボンへ。
なによりも愛した会社、サンツアーはシマノとの争いに敗れ消えた。
競技の世界にノスタルジーは不要だろうが、やっぱり昔の機材にノスタルジーを感じる。
サンツアーのパーツは今でも使える。
機材なんて大きな要素じゃない。
私というオールドパーツも今でも通用する。
そんなことを証明したくて、2009年は写真のスタイルでレースに出ていた。
1990年仕様。
線がシャープで美しいと思う。今の人がどう思うのかは知らないけど。
フルサンツアー仕様で重量は9キロちょうどくらい、2キロは今の自転車より重い。
写真の状態はサドルだけロールスからSLRに替わっている。
ギアは52×39、13-21の7速。
これで広島森林公園で行われた西日本実業団ER(現BR2)を走った。
Wレバーの鉄フレームは100名以上の選手の中で私一人だったな。
(写真クリックしてください。ふくらはぎの縦線が気色悪い)
おなじみの最終立ち上がりだが、よく見るとインナーに入っている。
当たり前ですが、Wレバーは片手を離さないと変速できません。
もちろんダンシングでは変速できないので、どんなに緊迫した場面であっても
一旦座り、片手を離さないと変速できない。
そして、ゴールシーン。
石堂君がフワーっと逃げたのをスルーしてしまった。
この日の脚なら戦えたと思うが、ここは勇気を出して逃げた石堂君を
リスペクトしたい。
ここで写真をよく見ると、最後はちゃんとアウターにかかっている。
今は現代のシステムにすっかり慣れてしまった私だが、ちょっとした曲芸に見える。
物理的に2キロの重しはどの程度、ライダーの力を奪うのだろう。
私は、この走りで機材の要素は小さいよ。
昔の機材でも走れるよと表現したつもり。
優勝ならもっと良かったけど。