UCIグランフォンド ニセコ レースレポート

 

若かった時の私を知る人の評価は、タイプとしては

クライマーと位置付けているようだが、実は違う。

その当時から劇坂と長い上りは苦手だった。

得意なのは今でも同じ・・・5分程度の上りだ。

当時のレースではほとんど長い上りは設定されておらず

小さなのぼりを含む周回路というような設定が多く、

長い上りや劇坂は苦手という私の欠点はあまり問題にならず

現役時代を過ごした。

 

少しニセコのレースを振り返ってみる。

距離は70Kmで獲得標高は1000Mという

結構上るコースだ。

よくコースプロフィールを見ると前半が平坦基調なので

つまり後半の35Kmで1000m上るということだ。

事前に北海道出身のチームメイトから得た情報は

『ちょこちょこ登りがあるだけで、きつい登りはないから』だった。

これが完全に詐欺情報。

またやられた(笑)

 

現地に着き、エントリーを済ませてから、時間がないので

車で試走をしたのだが、到底勢いや一時の我慢で登れる

上りではなく、長いところは5キロ以上延々と踏まねばならぬ。

正直、車の中では詐欺情報に苦情を言ったり、坂を前に

『こんなん無理~』と言ってみたりした後はすっかり疲れて無口になった。

 

翌日スタートは8:20。6時からささっと食事をして鞄を担いで現地へ向かう。

荷物を預けて、軽くレースで走る上りを使ってアップをする。

5分程度登ってみると、久しぶりに調整がうまく行ったようで

脚の芯の筋肉が痛くならず、どんどん踏める感じがする。

今日はそこそこ行けるかもと言うのがこの時点の感覚だ。

 

定刻にスタートが切られたが、同じ距離に女子を含む多くのカテゴリーが

混走になっているため、スタート直後は位置取り合戦が繰り広げられる。

パレード走行中にも、左右から前に位置する女子を追い越し選手が

上がっていく。

上りが始まりリアルスタートが切られる頃には私も先頭付近に移動し、

先頭が見える場所で展開するようにする。

でないと、飛び出した選手が自分が戦わなければならないカテゴリーの

選手なのかリリースしてもいい選手なのかが解らなくなるからだ。

 

大まかに言って前半は平地基調、後半はほとんどアップダウンの

コースレイアウトだ。

流石にWorld Seriesと銘打つだけのことはあって、参加選手は

香港、イギリス、モンゴル、オーストラリア、アメリカと多彩だ。

特に英語圏の選手は体が大きく一番大きい選手はざっと見積もっても

身長で2メートル、体重は120Kgはあった。

そういう大柄な選手と走るのは昔の海外遠征以来経験がなく

『ああ、こんな感じだったな』と懐かしい感覚があった。

 

そんな、ピリピリした位置取りをしていると程なく雨が降り出した。

雨が時折強く降り、レースをナーバスなものにしていく。

実業団レースというある程度の競技力、経験のある選手の集団

とはまた違う、”経験値、実力のわからない選手”の集団。

そういう選手の後ろにピッタリ張り付いて雨の中を50Km/hで疾走する

という恐怖を押し殺しながらの前半レースだった。

 

後半はスタート地点に戻り、そこから本格的に上りに入る。

上りの突込みは先頭付近で入りたかったが、思いは皆同じで

直前位置取りが悪く、20番手ぐらいまで位置を下げるが、上り始めると

道幅が広く、徐々に前に上がり常に5番手ぐらいで展開をする。

徐々にきつく感じ始めるが、調子はいいようで限界の少し手前の

領域で苦しさが止まり、周りの人に合わせている限りは踏み続けられる

感覚があり、後ろを振り返ると既に10人以下になり、間に車が入っている

のを確認し、今日は行けると実感した。

 

長い登りの頂上にあるKOMで1名の選手が飛び出した。

それを追ってもう一人。自分も行こうかと迷うが、KOMを取っても

勝てなければ意味がないと思い小集団に残ることを選択した。

これが判断ミス・・・

 

結果的に二人の逃げはいずれ吸収できるだろうという読みは外れた。

1位の高校1年生は上りが強く、実力的にも1位だったと思う。

しかし、レースはいつも実力通りの結果にはならない。

それは天候や予想外の展開、コースがレースを左右するからだ。

cw_niseko-13 photo:Hideaki TAKAGI

優勝した高校生に有利に働いたのは、彼は北海道の選手でありおそらく

コースを熟知していること、それに比べ私たちは前日に車で走っただけ。

もう一つの重要な要素はスタート時は降っていなかったが、すぐに振り出し

途中豪雨になった雨。

雨の下りでコースを知るものと、初めて走るものとの差は歴然だ。

 

この雨で集団に有利に働くはずの北海道の大きな作りの高速の下りが

ビビりながらの下りになってしまい、集団のスリップストリームの利を

生かせなかった。

彼もそういうことを含んで逃げたわけではないだろうが、強いものは天候や

運も味方につけるということだろう。

cw_niseko-16 photo:Hideaki TAKAGI

結局1分5秒の差を詰めきれず、ゴール前の上りを迎える。

ゴール前のレイアウトは大通りから左折しスキー場に向かい300Mほど

上ってゴールだ。

上りゴールは私が好きなレイアウトで、集団の頭は頂いておく。

13633345_1046904375391419_59750780_o cw_niseko-18 photo:Hideaki TAKAGI

結局、二人逃げの一人はどこかでパスしたようで、70Km総合2位、

エイジで優勝と言う結果になった。

表彰状の授与は栗村氏がプレゼンターだ。

cw_niseko-40 photo:Hideaki TAKAGI

総合1位は高校1年生だ。息子かよ!

cw_niseko-31 photo:Hideaki TAKAGI

グランフォンドニセコ・・・なかなかいいレースです。

空気、食事、景色・・・飛行機使っていく値打ちありと思う。

夏のニセコ、秋の沖縄は遠征派レーサーの定番になる気がした。

 

虹色に恋い焦がれる

 

匂いが記憶と結びつくと言う感覚が解るだろうか。

最近は靴下が汚くなるし、走り終わった後の始末が大変だから使わなくなった

スタートオイル。二重数年前は商品自体がほとんどなく、多くの選手が使ってたのが

Sixtusのスタートオイルだ。

この匂いが強烈で脳に直接レースの高揚感と共に記憶される。

 

ふとした時に棚にあるオイルを気まぐれに嗅いだりするとアドレナリンがでて

心拍は上がり、心はあっという間にレースシーンへ飛んでいく。

今日、同じような体験をした。 と言っても嗅覚ではなく視覚の方だ。

 

実力、選手としての実績からして大きなことは言えないし、実際世界で戦って来た、

戦っている選手からすればお笑いなのかもしれないが、高校二年で競技を始た時から

終始憧れ、目標にしたのはマイヨーアルカンシェル

世界チャンピオンだけが着ることが出来る誇り高きウエアだ。

 

求め努力し続けたあの日々は、いくら求めても手に入れることが出来ない

ものがあるという、この世の厳しさと、自分の無力さを教えられたが、

同時に努力することの尊さも知った。

 

週末に開催されたUCIグランフォンド ニセコの年齢別で優勝、

総合で二位になりUCIのロゴが入ったアルカンシェルを模したジャージを頂いた。

表彰式のステージは立派かつ華やかで、そのバックボードには虹色とUCIのロゴ!

それをみた瞬間、心拍が上がり心はあの日々に飛んだ。

[caption id="attachment_1577" align="alignnone" width="400"]DSC_1249 UCIのロゴが眩しい[/caption]

 

高みを目指す自転車選手にはUCIのロゴやアルカンシェルへの想いは特別なものがある。

もちろん、この大会はカテゴリーとしてはグランフォンドだし(内容は全くのロードレース)、

世界選手権でもなく、世界14地域で行われるシリーズ戦の一つでしかない。

ましてや私の優勝は年齢別のものだ。

つまり、ロードの世界選手権とは全く別物なのだが、走り終わってみると、コースや

ロケーションが素晴らしく、そのうえUCIのロゴ入りジャージが頂けて、

色々な意味で満足感の高い大会であった。

[caption id="attachment_1578" align="alignnone" width="400"]DSC_1228 宿の晩御飯、ドリンク持ち込みOKはちょっと嬉しい[/caption]

 

グランフォンド世界選手権は秋にオーストラリアのパースで行われる。

出場を決めたわけではないが、求め続けたあの時のようにアルカンシェル

目指して頑張るのもちょっと良いのではないかと思い始めている。

 

選手に求められる大胆かつ繊細とは

 

気が付けば春からブログ更新していなかった。

継続が大事なのはわかっているのだが、リアルが忙しくなると

ブログは二の次、三の次になってしまう。

継続してないと、訪れる人も少なくなり書く意味も失われる。

しかし、今更頑張ってみても息切れするだけだからぼちぼち行く。

 

数年前に春の伊吹山ヒルクライム(HC)に出場した。

スタートから先頭集団に入り、3分でそこは自分が居てられる集団では

ないことを悟り、後は苦痛の中でペダルを踏み続けた結果、

伊吹の山に”二度とヒルクライムには出ない”と誓った。

 

しかし、人は苦痛を忘れ過ちを繰り返す。

ちょっとした心の揺れで栂池ヒルクライムにエントリーをしてしまった。

道中や宿はことのほか楽しく、信州の大自然と美味しい食事で

胸もお腹も一杯になった。

DSC_1180

宿からの景色

DSC_1185

山中の隠れ蕎麦屋 ウマ~

 

しかし、一杯になったのは胸やお腹だけではなく脚も目いっぱいで

ヒルクライムの成績は散々だった。

昔はヒルクライムは実業団レースにはなくて、走り方がよくわからない。

とにかくスタートから先頭集団に食らいついてダメなら無理してついていかない

作戦でスタートしたが予定通り?ついていけなくてあとは粘りもなく

ただただ遅れるだけのグダグダなレース。

白馬の山々に誓った・・・『もう一生ヒルクライムレースには出ない』

 

先週は西日本ロードクラッシック、旧名称でいえば西日本実業団に参加した。

西日本の実業団チャンピオンを決める由緒正しい大会だ。

年によって違うが去年、今年は土曜日、日曜日と二日間で2レースを走る。

 

コースは広島空港の周りをぐるぐると登りと下りを繰り返す非常に楽しくも苦しい

コースで、登りは短く、いわゆるクライマーにはゴール前のスプリントも含めて難しく、

パンチャーや登れるスプリンターに合うコースだと思う。

 

私は過去このコースで行われた西チャレA-Mクラスで優勝したり一昨年の

西日本実業団で入賞したりしているので、今回もあわよくば入賞したいと思い

会場入りしたのが本心だ。

しかし、現実は厳しく1日目はリタイヤ、二日目は完走のみの結果となった。

 

後出しじゃんけんの様だが、結果的に体調が万全ではなかったようだ。

想像ではあるが・・・子供が夏風邪を引いており、それをもらっていたのではないか。

ホテルでは寝汗をかきながら寒気を感じたし、朝起きると鼻がやや詰まっていた。

通常の生活をするのに関しては何ら支障ないレベルなのだが、極限の体力を

使うスポーツでは本人が認知できないようなほんの小さな不調も増幅されるのだろう。

 

年齢を重ね段々と全てにおいて完璧でないと結果に結びつかないようになってきている。

小さなプラス1を重ねて10にする感覚だ。

ツボを得た練習、十分な睡眠、体調、回復、機材、展開、判断。

何かを忘れたり、間違った状態を正しいと勘違いしたりしていると絶対に

結果に結びつかない。

 

もちろん脚力が集団に対して大きく上回っていれば、多少の誤解やミスがあっても

結果は付いてくるのだろうが、脚力が平均的であればあるほど、体や機材の管理、

レースマネジメントが重要になってくる。

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毎回きっちり結果を出してくるまっちゃん

 

小さな体調の変化なんか笑い飛ばすような骨太の選手に憧れる。

しかし現実は細い体でなけなしの体力で戦っているのだから、

勝とうと思えば勝ちにつながる小さなことを積み重ねていくしかないのだ。

 

大胆かつ繊細・・・そんな選手になりたいものだ。

 

2度目のタイ旅行

 

少し前になるがタイへ行ってきた。月曜日だけ休みを取っての弾丸個人旅行だ。

現地に駐在している友人がいて、ちょっと遊びに行こうという企画。

昨年に続き、2度目のタイはやっぱり楽しかった。

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前回はバンコク市内とアユタヤを徘徊したのだが、今回はタイ北部の

チェンマイへ行ってきた。

話は飛ぶが、大体北半球においては北にある街が文化的で整理がされていて

南にある街が混沌としている例が多い。

東京と大阪、ミラノとローマとナポリ、国境を越えて考えればさらに明確だ。

フランスとスペイン、スペインとチュニジア、スイスとイタリア。

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北は寒く、作物も限定的なためアリとキリギリスでいえばアリさんタイプの

人間しか生き残れなかったのだろう。

一方、南は暖かく作物が豊富で、冬への支度があまりいらないし、

裸で暮らせる気候の国もある。キリギリスさんでも問題はない。

自然と穏やかな楽天家さんが多くなる。

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話は戻るが、北にあるチェンマイは私の定説とは逆行し、少し気候的にも涼しい

(若干だが)のに、”アジアの混沌”という言葉が似つかわしい混乱ぶりだ。

ただ、混沌と言っても私たち日本人が感じるだけであって、現地の人は

それがリアルに生活なわけで、特段の意識はないだろう。

しかし、三輪タクシーが走り回り、ノーヘルで3人乗りのバイクが爆走するさまは

なかなかのものだ。

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かって、日本も原付はノーヘルの時代があった。

といってもそれほど昔ではなく私の高校生の頃の話し(昔?)。

武勇伝ではないがクラッチ付きのスポーツバイクをノーヘルで走り回っていた。

危ないと言えば当然危ないのだが、それが普通だったので何とも思っていなかったな。

 

逆にロードレーサーでの練習はカスクや簡易なヘルメットはつけていた。

今から考えればちぐはぐな対応だな。

1990年代前半までは海外ではプロはノーヘルが当たり前だったし、

アマチュアでも練習ではノーヘルだった、当時は良いヘルメットがなかったし、

それが当たり前だったのだ。

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事故はないほうがいいのは当然だし、あった場合のことを考えれば

ノーヘルでは非常に危険であることに異論はないし、自分自身も

もうノーヘルで練習に行こうなんて気持ちにはならない。

 

しかし・・・チェンマイで見たノーヘルバイクやアルプスの峠を100kmに

近い速度で下ってくパンターニベルナール・イノーの走りを見ると

常識ってほんとに時代とともにどんどん変わっていくんだなぁと思う。

危険を完全に排除するなら乗らないのが一番の解決策ではあるが、

スポーツから得られる良い部分と、リスクと社会の常識を適当に

混ぜ合わせながら、ある意味適当に進んでいってるんだな。

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なんかいきなり、幹に実がなっているジャックフルーツ

 

レースやスポーツライドそして自転車の実用性とリスクとのバランス、

危ないという理由で二人乗りが禁止され、レースではヘルメットが義務化される。

それはそれで正しいと思うが、では危険だと理由でレースが禁止されたり

原付(原動機付自転車)の制限速度30Kmを超える速度は違反と

されればどうだろう?

並走は違法、車間距離不保持は違法、下りでの快走は違法・・・

間違いなくスーポーツライドは行えない。

 

今、規制する側も規制される側も社会の営みが快適に進む常識的な判断と行いが

求められている気がする。

過剰な規制は多くの事故を無くすことができるだろう、しかし・・・

リスクを容認しない交通システムも、スポーツもこの世には存在しない。

得られるものと、失うものとのバランスを見ない極論はどちらに傾いても

熟成した社会ではないと思うが如何だろうか。。。

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チェンマイの街を早朝ジョギングしながら思いを馳せたのであった。

西チャレ・・・再び

 

全ての事象が最終的に一点に収束する。

バラバラだった色々な要素が、その一点に向けて

混じり合い、溶け合いながら意味を持ちだす。

 

毎年のことだが、シーズンオフが来ると、もう実業団レースは

辞めようかなと思いを巡らせる。

流石に体がきついし、仕事との絡みや人生のバランスとして

本格的にレースに傾倒するのは、思うところがあるからだ。

もちろん、落車の恐怖はいつも胸の底にある。

が・・・中毒患者のように気が付けばシーズンイン。

 

西日本チャレンジロードに参加してきた。

今年も登録者マスターズのカテゴリーに出場した(35歳以上)。

去年はE-1レースで入賞もしているのだから、エリートカテゴリーかとも

思うのだが、世界を狙う若者や傭兵部隊の外人と戦うのは流石につらい、

間違っても勝てない、着に絡めないカテゴリーで走るのは、

精神的にとても耐えられないし、そもそも50歳を超える年齢は

立派な中高年だから相応と言えば相応なカテゴリーだろう。

 

レースは広島空港の周りに作られた自転車専用のサーキットコース

1周12キロを3周する。

路面は数年前に完全に補修された。

以前はパンクしやすく、滑りやすい路面だったが、現在は雨でも滑らず、

パンクの無い非常に快適な路面に生まれ変わっている。

公道では実現できない速度とバンク角でグネグネと上下しながら進むコースだ。

登りはあるが、長くなく下りは直線的でスピードが乗る。

勝負所のゴール前は短い急坂を登った後、緩いのぼり勾配となっている。

レイアウト的に本格的なクライマーより登れるスプリンターが活躍できるコースだ。

かといって、登れないと千切れてゴール勝負にも絡めないわけだが…

 

昨年、優勝させてもらったので、2連覇がかかった試合だ。

勝っても負けても趣味の範疇であり、プロでもないので『また頑張ろう』で

いいのだが、やはり2連覇を意識してしまい、相当入れ込んで試合に臨んだ。

 

今だから言える作戦・・・

それは”逃げを許さず、ゴールまで持ち込む”それだけ。

できれば、自分が残れる最大の強度になってくれればいい。

その強度で、ちょっと登れるスプリンターが遅れればラッキーだからだ。

遅れなくても、足が削られればまともなスプリントが出来なくなる。

それは自分にも当てはまる諸刃の刃でもあるのだが。

 

逃げは基本的に難しいコース。

”おいしい話しには乗りたいけど、リスクのあることはしたくない”という

我々おじさんのカテゴリーでは尚更決まりにくい。

人生の機微、酸いも甘いも噛み分けることを知っている年齢なのだ(笑)

だが、その中にも勇敢な選手はいるので、集団に追わせるのか、自力で追うのか

自分も逃げに加わるのかの選択をその都度繰り返す。

 

途中で発生した二人の勇敢な逃げには一気に追いつきに行き、交代拒否で対処する。

勇敢な選手と逃げの至福の時を共にしたいが、これも勝つための作業の一環だ。

理由は、前年優勝していることで私はマークがきつく、後続は私が入っている逃げを

容認しない可能性が高いこと。

そして、逃げて勝つ確率とスプリントに持ち込み勝つ確立を天秤にかけたときに

スプリントでの確率が高いと判断したからだ。

昨年逃げて捕まり、その後回復に苦労し、スプリントで苦心した経験が脳裏にあったと

言うのも実のところだ。

 

更に判断を要したのが、最終回の吉田選手(2位)の強烈なアタックだ。

これは吉田選手が狙ったのか、自然とそうなったのかはわからないが

私が先頭を引き、少し後ろに回った瞬間に逆サイドから、登り返しをタイヤが

音を立てるほどもがいて一気に差を広げた。

これは最終回だけに相当焦ったが、如何せん選手が前と横に被っているので

見送ってしまい、選択肢は自力でブリッジをかけるか、集団で追う2択となった。

ブリッジは最終回だけに集団も許さないので、集団での追走を選択する。

ここで、焦って引きまくると、ゴールで勝てないし、かといっていくら脚を溜めても

逃げ切られては、意味がない。

結果は少しペースの上がった集団を少しリードしながら、裏の平地区間

無事捕らえることが出来た。

 

一団となった集団は最終の三段坂へと入っていく。

昨年は2段目の池の横で島根の選手の強烈なアタックがあり、その対処に

かなり脚を使わされ、苦労したので、不意のアタックに注意しながら積極的に

先頭付近で上げていく。ベースが速ければアタックは出来ないものだ。

 

スプリントが苦手なヒルクライマータイプの選手が最後の力を

ふり絞り三段坂を駆け上がるが、最終回の三段坂はもう

パンチャーの領域なので別脚を使ってでもクリアさせてもらう。

 

三段坂の頂上を先頭付近で余裕を残してクリアする。

落ち着いて一度後ろを振り返り、人数と面子を確認する。

人数は解らないが、沢山いるということはわかった。

後は力を使わず、ちょろ逃げを許さず、ポジションを落とさず

下りをこなし最終コーナーに向かわなければならない。

 

2番手でゴールに向かい下っていると、下りの登り返して前で、

右側に空いたイン側ラインから一人前に上がってくる。

これは想定内というか待ち人なので、タイミングよく乗り換えてまた2番手に。

そのまま最終コーナーへ向かうと、イン側に最終コーナーを使って

一気に前に出る選手が視界の隅に入った。

立ち上がりでもがくその選手の後ろを取りまた二番手へ。

急坂の半ばで、吉田選手が猛然とダンシングして上げるので

またその後ろに切り替えて2番手へ。

 

吉田選手は振り返らず、後は最後までもがき切るつもりらしい。

かなりいいスピードなので、申し訳ないが自分の距離(ゴールまでの)に

なるまでリードアウトに使わせていただく(吉田さんすいません!)

当然、その途中で上がってくる選手がいないか全身のセンサーを使って

注意を怠らない。

10308894_938928099517462_5069303596144996460_n 赤い選手は別カテゴリー

 

自分の距離でなくても、スプリントをかけられれば合わせて踏まなければ、

踏み遅れれば致命傷となるからだ。

スト200mくらい?で、いい距離になったと判断し、スプリント開始。

今年は途中冒険もせず、完全な状態でスプリントに入ったため、

脚も残っていて、バクバク、踏み踏みにもならず、しっかり踏み切ってゴールできた。

734350_938928196184119_4772115887873048862_n 二連覇なんで指は2本

 

今回は勝ちを意識し、クレーバーに展開させてもらった。

決して挑戦的な攻めの走りではなかったが、それは脚質的なものもあり、

勝利の確実性を追い求めた結果の走りだ。

 

仕事の飲み会を『今からまだ仕事なんです』と断り、小学生のような時間に眠りにつき、

早朝の暗い氷点下の北摂山地をボトルの水を凍らせながら走り、アルコールを抑え

食事を制限し、体重を管理し、水曜に高強度を入れ、以降疲れを抜く・・・

前日の食事も気を使い、機材の整備、積み込み・・・

全ての事象を試合に向けて整える。

そのうえでの勝利。

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同じ朝練メンバーののいちゃんがトラック(表彰台)に初めて乗った。

本人の喜びもさることながら、一緒に涎を垂れる仲だから私もとりわけ

感慨深い。これをステップにこれから沢山の賞状を集めてほしい。

惜しくも着は逃したが、イシトモ君のキリエンカを彷彿とさせる漢引きは

全選手の中でも突出していたし、彼が上げる登りでの高強度が

各選手の脚を削り、私の勝ちに有利に働いたことは特筆しておく。

 

勝って言う事はた易いのかもしれない。

後出しじゃんけんなのかもしれないが、勝つこと、入賞すること、

結果を出すこととはこういうことだと思う。

具体的な目標を設定し、そのために必要な作業をする。

食事、練習、睡眠、機材・・・すべての事象を試合に向けて徐々に徐々に

精度を高めていき、試合のその日にそのすべてが一点に収束する感覚。

1910409_938928329517439_7720316735080704726_n 共に朝練し、共に戦った仲間と喜びを分かち合う、応援団も一緒に!

 

月曜日、火曜日は練習もせず久々にゆっくり過ごさせてもらった。

さて、そろそろ次の試合に向けてばらついた事象を一点に向ける作業を

開始しなければならない。狙う試合があれば終わりはない。

 

壊すことは、創ること。

会社の周辺が空き地だらけになっている。

バブル崩壊後から始まった、地上げはリーマンショックの直前を

ピークとして、歯抜け状態の街を作った。

町内の小学校が廃校になり、巨大な廃墟ビルも解体された。

大阪の中心地であるのに広大な空き地があるという違和感。

 

解体のたびに、騒音と粉塵には悩ませられるが、いつまでも

廃墟ビルで良いはずがなく、解体は新たなビルを建てる為の

必要不可欠な作業だと、我慢をして見守っている。

 

先日、朝日新聞のコラムで『壊すこと』の意義、として生物学者の

福岡伸一氏が興味深い記事を書いていた。

曰く・・・

過去、生物学者は細胞内でたんぱく質が作られる方法を追求し、

DNA情報が伝達されるプロセスを発見した。

しかし、今、生物学者が注目しているのは、細胞内でどのようにたんぱく質

壊されているのかだという。

研究を進めると、細胞は古い新しいを問わず、どんどん壊される。

そして、壊す場所は何通りも用意されている。

身体は壊すことに熱心らしい。

 

私が会社で行うビル管理では、電灯が切れたら切れたところを交換するのだが、

切れるとまずい高速道路の電灯は切れる前にどんどん交換されるらしい。

古い電球をスクラップにすることにより、新しい電球が灯る。

 

老朽化し故障を起こす前に、先行して壊し新しくする、素晴らしき人体のシステム。

しかし、考えてみればこの考え方はいろいろな場面に流用できそうだ。

メンテナンスはもちろん、会社組織であったり、物事の組み立てであったり。

 

破壊ではないのだが、思うような成績が出ない選手も現状の練習を変えてみる

必要があるかも知れない。

いたずらに変化させる必要はないが、望む結果が出ないなら、感じて、考えて

実行する。試してダメならまた変化させる。

 

いつも、自分のやっていることは正しいのか、効果があるのかを検証するのは

大事なことだろう。

不足している能力に対応した練習、対象にしているレースに必要な能力。

いつも考えて練習を組み立ててほしい。

 

我慢強く継続するのと、漫然と継続するのは似ていて非なるものだ。

人によって違う練習のツボを見つけるのは、常に自分を疑い、探し出そうとする

普段からの心掛けが必須だと思う。

もうすぐシーズンイン。

そろそろ私も上げていかないといけないな。

 

2015年シーズン終了

 

私は出場しなかったが、幕張のクリテリュウムをもって

2015年シーズンは終了した。

JETチーム優勝の目標に向かい多くの選手の絶え間ない努力と、

情熱、自分の成績を顧みない・・・アシストの積み重ねにより、

2015年度JETの年間チーム優勝を遂げることができた。TitleBack2015_11-1 いい写真がなくシルベストのHPから

FB_IMG_1446900985580

楽屋裏でJETリーダー(個人部門)のVC福岡の佐藤さんと。

 

幕張メッセのメインステージで表彰されるという誉れ。

一年間頑張ってきた甲斐があるってもんだ。

ともに戦った全ての選手にお疲れさま、ありがとうと言いたい。

 

個人的な成績を振り返ってみる。

春に狙うのは毎年西チャレ。

このレースは私たち登録選手が出られるのがエリートクラスか、

エリートマスター(E-M)のクラス。

プロカテゴリーのレースはなくプロがエリートクラスに出てくる。

流石それはに厳しいので、私はマスタークラスでの出場だ。

このレースは過去5回ほど出場しているが、入賞はしても

優勝はできなかったのだが、今年ようやく優勝を果たした。

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冬の間、寒く暗い中、朝練を積み重ねての結果だから嬉しいものだ。

 

西チャレ以降の実業団レースで完走ポイント以外のポイントが付いたのが三レース。

一つ目が堺クリテ。昨年E2で優勝をしたレースでコースとの相性もいい?と

期待したが、終始前に出れず、落車の影響もあり(そんな場所しか走れない…)

10位に。

 

二つ目が宮田クリテ。これは完走ポイント以外といっても、マイナスの結果のほうだ。

久しぶりにDNFをリザルトに残した。

このレースもそうだけど、今年は全然走れなくて結果が出ないシーズンだった。

もう加齢だな・・・と諦めて出た全日本実業団が三つ目だ。

 

このレースはアップの時から脚が軽くおかしい?と思えたほどで、距離もあるので

15分ほどアップして汗もかかないうちにアップを終えるという良い意味で異常な日で

レース中も2周目、3周目と最終回以外はきついながらも、若干の余裕を残して

推移し、途中展開はいろいろありながらも落車の魔の手から逃れ5位。

レースのランク、カテゴリーを考えれば出来すぎの結果だろう。

もう、メジャーレースの入賞は難しいと思い始めてたので正直うれしかったな。

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『全日本実業団の最年長記録じゃないですか!?』は褒め言葉か?

 

ブログにも書いたが、全日本実業団の1週間前からサプリの類を

一切やめた。因果関係ははっきりしないが体調は悪くないので

もう一生飲まないで過ごしたいと思う。

 

長かった・・・辛かった。楽しかった。そんなシーズンだった。

年間ポイントを争っているために、遠方のレースも積極的に参加し、

何週も連続で遠征が続いた。

全日本実業団の群馬のレースはスタートが昼からだったので、日帰り

レースを敢行した。

早朝京都で集合して、昼前に群馬着。

昼から96キロレースを走り、レース後すぐに大阪へ。

現地滞在3時間余りで、狂ったスケジュールだった。

 

魚沼も負けず劣らず、厳しいスケジュールで、仕事が終わった後京都で集合

朝4時台に越後湯沢で仮眠。2,3時間だけ眠り、朝から魚沼へ移動してTT、

翌日はロードを走り、そのまま大阪へ。

帰宅は夜中だけど、翌朝は当然仕事。

 

体はきついし、移動費宿泊費も結構かさむので、チーム優勝を争っている

VCさんに『和解提案しようか?』、『VCさんもきついはずだから乗ってくるかも』

なんて冗談を言い合ってたのがこの頃だ。

 

戦い終わって・・・昨日の敵は今日の友だ。

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最高のライバルが最高の仲間だと再認識された瞬間だ。

 

仕事であろうと、学問であろうと、捉え方、取り組み方でそれは刺激的にも

ドラマチックにもなる。

自転車競技だけがドラマチックで熱いとは言わない。

だが私たちは、号砲を聞きスタートすれば、ペラペラの薄いウエアと

軽量のヘルメットで下り坂を大集団で下って行き、危険が高いゴールスプリントに

もアドレナリンたっぷりで向かって行くという、危険と隣り合わせの競技をしている。

そこから紡ぎ出される物語はとりわけ熱くドラマチックだ。

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来シーズンのことはわからない。

熱くドラマチックな世界から足を洗うのは勇気のいることだ。

何年もかかる人間関係の構築も脚で語り合えば一瞬だ。

そんな、嘘のない丸裸の付き合いが心地いい。

なんて、いろいろ思いを馳せながらのシーズンオフ。