2013-09-01から1ヶ月間の記事一覧

自転車との出会い プロ・アマオープン後編

実質的に勝負に絡む走りが出来るのはアマは全員、プロは数名の約20人ぐらい。 もう遠い昔の事なので、展開の詳細は覚えていないが、距離が210キロで人数が 20人なので、前半は様子見で進行し、中盤は幾つかの逃げが発生しては捕まり、 再構成されて…

自転車との出会い プロ・アマオープン中編

プロ・アマオープン出場の招待から、試合まではあまり時間が無かった。 本来この手の試合に挑むなら、できれば半年ぐらいの時間が欲しいところ。 ところが、私は前年10月から2か月間はヨーロッパを放浪していたため、 まったく自転車に乗っていなかった…

自転車との出会い プロ・アマオープン前篇

’90年 日本で初めての世界選手権が宇都宮市で開催された。 現在は自転車に乗って、それなりのチームで走り、機材サポートでも受けていれば それをプロと呼ぶようだが、’88年時点ではプロとアマの間には大きな壁があた。 世界選手権もプロとアマは完全に分か…

自転車との出会い サンツアー入社前後編

サンツアーって87年ごろまで寮が有って選手のほとんどがそこにいて 外部から見るとすごく楽しそうだったのに、89年の私の入社時には、 既に寮はなくなっていた。 その代替えとして、独身の選手は、ヤングタウンへ。 ヤングタウン。 通称ヤンタンは泉北…

馬鹿になれ!

今日は久々に、チーム錬に参加した。 やっぱり、人と走るのはいいもんだ。 でも、ちょっと気になった点があったので、ここに書いておく。 多分、このことはシルベストだけのことでなく、どこのチームでも あることなので、各チームの練習の参考になれば幸い…

自転車との出会い サンツアー入社編

電話の主はサンツアーのH先輩。 おふざけの好きな先輩だけど、体格の不利を感じさせないスピードで ポイント、ロードの強さは素晴らしかった。 いつも笑顔で、その中に競技者としての厳しさを持っている方です。 電話の内容は簡単に言えば『サンツアーで走…

自転車との出会い 帰国-引きこもり編

日本に帰ってまず最初に食べたのは寿司。 スイスに滞在中は幾度となく、寿司を思い浮かべていた。 物価の安かったスペインで日本食を食べたが、流石に寿司は 食べてなかったので、酒じゃないが、五臓六腑に染みわたった。 そして、帰国を祝い両親が日本海に…

敵には塩でなくて…

週末は舞洲のレースの見学へ行ってきた。 自転車競技はいつも過酷。 午前中は曇りで強風。 午後は大雨で強風。 なんか春もすごい風が吹いていたような記憶が。 それもレースだな。 風が強い平地のレース、ここではちょっとしたテクニックが必要。 それは、風…

自転車との出会い 失意の帰国編

無計画な旅行。 ユーレイルパスを持って、ヨーロッパをできるだけ回る。 北はノルウェーの北極圏ナルビクから南はスペインバルセロナ。 西はフランス、東は旧ユーゴスラヴィア、ギリシャまで。 2か月ほど放浪したのちに、スイスの自宅に帰った。 放浪生活を…

自転車との出会い スイス奮闘後編

Mendrisioからカナダで行われたステージレース Tour of York regionに派遣された。 記憶は薄いが、強力なメンバーと大陸的な道路と横風に翻弄され まったく勝負にならなかった思い出だけが残っている。 一般に日本人は体型的に外国人に劣る。 体が小さくス…

『まったく・・・今どきの若者は』

ちょっと自分語りの話が長くなってきたので、気分を変えて。 今どきの若いもんは・・・ 最近の若い奴らは・・・って、よく聞きません? そりゃあ、私自身も中高年になってきて、若い者とのジェネレーションギャップを 感じないのかと言うと、やはり考え方、常…

自転車との出会い スイス奮闘中編

スイスの冬の寒さとマヨルカ島での走り込みの疲労からか、 風邪を長引かせてしまった春先。 仕事を辞めて海外に行っているので、時間だけは十分ある。 時間が有るので、つい走りに行ってしまい、風邪がぶり返すという悪循環。 正直、レースはうまく走れない…

自転車との出会い スイス奮闘前篇

スイスの言語はは大きくは3つに分かれている。 フランスに近い西部はフランス語圏。中北部は最大勢力のドイツ語圏。 スイスを南部を東西に貫くスイスアルプスを境に南側がイタリア語圏。 わが町Chiassoはイタリア語圏でイタリア文化圏。 そして、気候もア…

自転車競技との出会い 番外編

高校時代に私の競技の基礎を作ったイトーレーシングのことを少し。 先日も書いたが、当時私が所属したイトーレーシングは高校生中心のチームで で、中学生もいた若者チーム。 その頃のクラブチームはどこも、若手が中心だったと思う。 余談だが、シルベスト…

自転車競技との出会い 桑原~スイス編

たかが選手の移籍ではあるが、手放す側の企業と受け入れる側の企業の合意が前提。 桑原の社内で『なぜ、走れる選手を放出する?』と言う意見が出て、それがサンツアー側に 伝わり、『社内でもめているなら、受け入れは難しい』『一旦、退職して入社なら検討…

自転車競技との出会い 桑原後期

2年間の停滞期と新たな気持ちで取り組んだ4ヶ月の朝練。 練習時間が十分有った2年間と時間が少なくなった4か月と言い換えることが出来る。 時間は限られている方が、良い場合が多い。 それは誰しもが、本当は知っていることだと思う。 しかし・・・ 近畿…

自転車競技との出会い 変革期

就職の面接はミナミの鳥料理専門店でゆるい感じで行われた。 面接官は創業一族で専務兼監督兼選手の恩師。 採用にあたっての会社からの条件はなんと! 選手をする事と朝練をすること。 私をビビらせようとしたのだろうが、こちらとしては願ったり、叶ったり…

自転車競技との出会い 自転車浪人期

高校生だったあのころの憧れがサンツアーの先輩の方々。 白を基調にブルーのライン、個性的な人格に抜群の競技力。 もう、自分の生きていく世界はこれしかないと思った。 サンツアーだけでなく、チームを持っている自転車関連企業へ就職活動をしたが、 就職…

自転車競技との出会い 少年期

なんとなく、自転車に興味を持ったのは小学5年生ぐらいだった。 子供って意味なく自転車で競争とかするじゃないですか、私も友達とよくやったのですが、 スポーツ、勉強どちらもイマイチな子供だったけど、自転車だけはなぜか、クラスの スポーツ万能な友達…

ヴェルタ6stに思うところあり

自転車競技は空気抵抗と戦う競技。 マラソンでも空気抵抗はあるが、自転車とは比べ物にならない。 そこにチーム戦略があり、ドラマが生まれる。 ヴェルタ6stで個人TTの世界チャンピオンのトニー・マルティンがスタート近くから逃げて、 ゴール前で惜しくも…