クレーム対応と自転車競技

 

先日、このブログへのアクセスに問題が有ったようだ。

なんだか、技術的なことは解らないが、外部からの攻撃らしい。

何かと攻撃的な話が多い世の中だな。

 

仕事で管理業務を受託しているのだが、内容的にトラブルの

後始末が多い。

当然、ほとんどの場合、当事者は不満や怒りを持っているので、

その対応は結構シビアだ。

それが大問題に発展するか、軟着陸するかの境界線はどこにあるのか。

 

その境界線は多くの場合、何も問題の起こっていない時の

普段の付き合い、人間関係にあると思う。

良い人間関係が普段から構築されていれば、大問題にならず、

問題は収束することがほとんどだ。

 

次に初期対応は大事。

初期の対応が悪く、後手後手に回ると、それがずっと尾を引いて

修正が効かず、最後まで苦労をする。

 

結局は常に前向きでスピーディな対応を心がけるってところだ。

言わば、当たり前な結論だが、これが出来るようでなかなか出来ない。

先人が私達を戒め、正しい道に導く為に、多くの格言を残している。

 

いや、実は格言を残した本人でさえ、流される自分がいて

それを、自ら戒める為に、あえて言葉にしたのではないだろうか。

偉人であっても、流されがちなのが人生だと思う。

ましてや、私などは木の葉のように流される。

 

今日も朝練を走った。

日曜日にしっかり走り、復調の兆しが見えたのだが、

月曜を休んでもまだ疲労を感じ、うまく走れない。

当然タイムもイマイチでテンションは下がる。

 

でも、一喜一憂はしない。

良いときが有れば、悪い時もある。

試合を良い調子で走れればそれでいい。

積み重ねていれば、いずれ必ず形になる。

そんな境地に至るまではかなりの時間を要したが。

 

前向きでスピーディな対応は競技にもつながる。

積み重ねることを前向きに捉え、状況に合わせ

練習内容や、生活改善をしていく。

 

感じ、考え、実行する。

決めたら、変えない。

やり続ける。

でも変える必要を感じたらすぐ変える。

スピード感。

そんな頑固さと共存する柔軟性が必要とされている。

 

さて、明日も朝練。

どれぐらい走れるだろうか。

幾つになっても、ワクワクするな。

 

水虫ではないけどね

 

隔靴掻痒 なんて仰々しい言葉だ。

私が初めてこの言葉を知ったのは筒井康隆

小説だったと思う。

 

読み方は「かっかそうよう」だ。

ネットで調べれば「痒いところに手が届かないように、はがゆくもどかしいこと。

思うようにいかず、じれったいこと。物事の核心や急所に触れず、もどかしいこと。」

そんな風に書いてある。

隔・・・隔てられた 靴・・・靴(の上から) 掻・・・かく 痒・・・かゆみ

ネットの説明より、「足がかゆいのに、靴の上からしか掻けない状態」と言えば

どれだけ、イラっと来る状況か理解できると言うものだ。

 

連休は9日間のうち8日間は乗った。

ローラーが3日実走が5日、5日間の内で雨に降られなかった日は無かった。

何故だか、家を出るときは降ってないんだな。

走り出してそこそこ遠い所まで行くと降り出すと言う意地悪。

すごい盆休みだったな。

 

昨日と今日は定例の朝練。

ゲストにも来て頂き、楽しくオールアウトさせてもらっている。

昨日の事だが、朝練で練習が終わり山を下ってきて、平地なので変速をした。

したつもりが、変速しない・・・。

レバータッチのイマイチの電動なので、シフトミスかなと思い、今度は強く。

無反応・・・だめだ。

 

電気製品は調子の悪いときは叩けと親に教わったので?

クリートを外し踵でリヤメカに蹴りを入れるが、うんともすんとも言わない。

家までにもう坂は無いので、あきらめて固定ギアで帰り、

車に積んでシルベスト梅田店まで持ち込む。

亀きっちゃんが対応してくれた。

 

まずテスターで断線でも調べるのかと思ってたが、そんな原始的な事はしない。

おもむろにコードを取り出しターミナルにパソコンを接続し電気的に診断。

まるで電気機器の修理だ。

まあ、電気機器なんだけど。

 

結局、バッテリーの異常で、バッテリーの交換で無事修理は完了した。

念のため書いておくが、接続異常でなくバッテリー異常だ。

手際よく直してくれた亀きっちゃんには感謝だ。が・・・

それとは別に、少々納得がいかない。

 

まず、自分は部品はレースの機材と捉えてる、だから機材としての

安定感を重視している。

2,3ヶ月前に購入したバッテリーが異常になってどうする。

レースならサポートカーを従えてない私たちはレース終了だ。

 

もう一点の納得いかない事・・・

電動は確かに便利だ。

オールアウト寸前の頂上からの下りで

ピッと押せば、すっとアウターにかかる。

でも、変速機の調子の悪いのぐらい自分で治したい。

 

今回自分でできたことは、バッテリーモニターが点灯するか

確認した事と蹴りを入れた事。

故障個所の断定すらできなかった。

もどかしい。

 

隔靴掻痒

自分の足ぐらい自分で掻きたい。

直接掻きたい

原因部分を直接掻くと、それは気持ちがいいものだ。

 

今調べると、自分の持ってる充電器でもパソコン接続が出来るようだ。

変速機のワイヤー交換をして、シャキッと動くディレイラーに悦に入る。

そろそろ、そんな感覚の自分をアップデートしないといけない時が来たのかな。

自転車も難しくなったもんだ。

 

自転車はエコなのか?

 

エコの話しはいつも疑って聞いている。

エコの話はまやかし、嘘が多い。

特に企業が言うエコは、眉唾物が多い。

要らない電気は消しましょう。

出されたものは残さず食べる。

華美な事はせず、質素、シンプルに生きる。

そんな、ごく普通の暮らしから発するエコが良い。

エコの基本は無駄な事をしないと言う常識的な感覚だと思う。

 

自転車ってエコの代名詞みたいに言われるが、

部品の製造、フレームの製造には相当環境に負荷が

かかっているのは間違いない。

それは自転車だけでなく、冷蔵庫やテレビに代表される

家電はもちろん、住宅、車、道路まで自然界に無いものを

作れば環境に負荷がかかる。

現代人が普通に、ごく普通に生活すればそれは地球にとっては

優しくない事と言う結論になるが、そこに完全な解決法は無く

個々が出来る事を自然に、無理の無い程度に意識し実行すれば

良いのだと思う。

 

『お前ら道路にエネルギーまき散らしやがって(笑)』

競技を上がった先輩競技者に言われた言葉。

始め何のことを言っているのか解らなかった。

つまり、選手時代の事だから、とにかくよく食べる。

若さに任せて食べまくる。

朝になれば道路を走り回ってエネルギーを使いまくる。

走れば腹が減る。

そして食いまくる。大量に。

 

その先輩からはよく食事をごちそうになった。

おごる立場からしたら、そんな感覚がしっくりきたのだろう。

せっかく、御馳走したのに、練習してガリガリになり・・・

 

今はやりの、パワートレーニングなんか、そのことを数値化している。

10分300Wとか、1時間200Wとか。

実走なら気分転換の要素もあるが、ローラーなんて

1ミリも進まないのに、カロリーをひたすら浪費する。

表面的には、生産性ゼロの行い。

これはとてつもなく反エコなのではないかと、

汗にまみれながら、ローラーの上で考える。

 

そもそも世界規模で見れば食べること自体が難しい人が大勢いる。

もちろん飢餓で死んでいく人々も。

そう考えると、生きるためにするのではないスポーツは、とても贅沢な

行いだ。

 

反エコだから自転車・・・スポーツは止めようと言う話ではない。

現代人の健康で文化的な生活は環境に負荷をかける事を理解し

自転車競技やサイクリングを楽しめばいいのだと思う。

 

そして、手に入れた健康な体と、フレッシュな頭脳で仕事や生活をし、

出来る範囲で社会に貢献をすれば良いのではないだろうか。

 

盆休みは三重県の山中で個人合宿の予定だ。

素晴らしい練習環境に感謝しながら、道路にエネルギーを

まき散らす予定だ。

練習後の地物の野菜がうまいだろうな。

 

オヤジが箱に入っていても可愛くないし。

 

ハッと気が付いた時には、車は正面に迫ってきていた!

身体は本能的に左端へ自転車を寄せる。

ちょっとびっくりしたが、離合は難しくない道路の幅だ。

しかし、車は何故か同時に同じ方向へ!

死ぬ。

 

1988年の早春の事だ。

寒いスイスから逃れ所属チームの合宿と合宿後に

2レースを走る為にイタリア西北部のリビエラ海岸へ。

ジェノバ~サンレモ~ニース(フランス)につながる温暖な

海岸地帯。避寒地で高級リゾート地。

 

日本でも海外でサンレモでもやっぱり練習へ。

悲しくもうれしい自転車乗りの日常生活だ。

何故だかその日は峠を一人で下っていた。

ミラノ~サンレモのポッジオノの丘に代表されるように、

あの辺りは、海岸線から離れると結構登りが有る。

結構な勢いで下っていた。

センターラインのない峠道だが、車が普通にすれ違える幅は有る。

登りの苦しさを忘れるような下りを軽快に飛ばしていた。

 

中高速でクリアできる左コーナーを道路の半分より左側を走っていた。

左側?ここはイタリア右側通行だ!

一人で走っていたこと、センターラインが無い道だったこと、春先で

日本を離れて時間がたってない事の悪条件が重なり、いつの間にか

道路の左側を走っていた。

 

高速でイン側を走る私の正面から車が走ってくる!なぜ?

このままではぶつかると思った私は左による。

日本人脳の私には当然の反応だった。

一方、生粋のイタリア人(多分)の運転手はぶつからないように本能的に

右にハンドルを切った。

ほぼ正面衝突の軌道に入った。

 

正面衝突が確定的になったその時、最後の回避行動として、

私はさらに左に軌道を取り、バイクの上で正面からぶつかるのを

回避するために体をねじった。

無理な姿勢で右ペダルが外れて、自転車の上でたこ踊りになった。

同時に、車の運転手は流石に右ではなく左に避けなければ

この衝突は避けられないと判断したようで、少しラインを左に取り

たこ踊りする私の身体に車体をこするようにして、走り去った。

一瞬。時間にして2秒程度の事か。

死神から逃れ命を拾った。

 

私はたこ踊りから落車もせずに無事復帰し、脂汗を流した。

『くっそー、なんていう運転しやがるんや!』 罵詈雑言が頭の中を駆け巡る。

そこで、ハッと気が付く・・・ここはイタリア!右側通行だ。

すまんかった。運転手のお兄ちゃん。

相当びっくりさせた。

 

おそらく相対速度は100㎞以上。正面衝突していれば

あの時死んでいても全く不思議ではなかった。

ちょっとした偶然で私は死なずに済み、運転手は

死亡事故の当事者にならずに済んだ。

今でも思い出すと、背筋が寒くなる出来事だった。

 

自転車に乗ると言う事は、ある意味非常に危険であり

常に事故の危険が付きまとう。

60㎏の物体(身体)が高速で移動すると言う事はそういう事だ。

 

だが、ほとんどの事故は避けられるし、一般的な事故のリスクは

確実な注意行動によりほとんどゼロに近く抑えられるはずだ。

向こうから飛んでくるような事故は避けようがないのは当たり前だが

これは、道を歩いていても起こりうることだから、考えてみても

仕方ない。

 

事故が嫌なら自宅でじっとしていればいいのだが、

それでは楽しくないし何も生まれない。

事故を避け、無事故で長生きだけが人生の目標ではない。

全ての行動にリスクが伴うが、良い行動は成果や喜びを与えてくれる。

安全に留意することは大前提ではあるが。

 

うら若き乙女ではないのだから、箱に入っていても仕方がないよな。

明日も事故に注意して、練習に行こう。

行動からしか結果は生まれない。

 

法話に心を打たれる

 

先日叔母が亡くなった。

調子が悪いなと思った時にはすでに手遅れで

医者から淡々と余命を宣告された。

転移が各所にみられ、緊急を要する部位を

切除する手術を受けたが、結局宣告された余命より

ずっと早くこの世を去った。

 

手術してからはずっと調子が悪く、今でもあの手術は

なんか意味があったのかと思ってしまう。

 

叔母は生涯独身で大きな会社の事務職を定年まで

勤め上げ、数年前に本格的に年金暮らしに入ったばかりだった。

これからゆっくりと、余生を楽しみたいと思っていた矢先の

余命宣告だった。

 

今日お寺で百箇日法要が執り行われた。

身近な親戚が集まり、生前の叔母を偲んだ。

法事が終わり、お寺さんからの法話があった。

 

曰く・・・

生きているのは偶然、死は必然。

生まれたときから、いずれ死ぬことは決まっており、

今、偶然生きている。

生かせて頂いている。

 

人は生きているのを当然と思い日々を過ごすが、

実は偶然、奇跡の上に成り立ち今を生きている

それを突然の死を以て故人が教えてくれた。

人生は突然幕を閉じる。

 

「一日の空過(くうか)はやがて一生の空過となる」

そんな言葉を教えていただいた。

一日を無駄に過ごしていると、やがて一生が無駄になると

言う意味だそうだ。

 

生が偶然の上に立脚し、来年どころか明日すら

分からないのが人生ならば、毎日は愛すべき

一日であり、貴重な一日だ。

 

そう思って自分を振り返れば、何ともいい加減な

時間の使い方であり、いい加減な人生観だ。

少しづつでも改善して行かねばなるまい。

叔母さんが命を懸けて教えてくれたのだから。

 

嫌いだけど好き!

 

エアコンが嫌いだ。

その反面、とても恩恵にあずかっている。

職場でも、家でもお店でも。

 

嫌いな部分は、エコでない部分と不快な感覚。

自然な環境で暮らしたいという想いが有るが、

そんな理想がかき消されるほどに大阪の夏は過酷だ。

家に帰り、部屋中に熱気がこもっていると、もう迷いもなく

エアコンをつける。しかも強ボタンだ。

理想と現実の狭間で心は揺れる。

 

改めて書けば情けないようだが、人間の生活なんて

ほとんどがその狭間を行ったり来たりしている気がする。

それを超越し、突き抜け、不便でも苦しくても、汗にまみれても

理想の生活、生き方を貫き通せれば、それは素晴らしいが、

ちょっと変わった人の称号は免れないだろう。

 

一方不快な感覚とは・・・

暑くて、寒い。

どう表現すればよいのだろうか、エアコンをつけて寝ると

風の当たる皮膚表面が寒く、体の中が暑い。

肌寒く感じ夜中に起きる。

ふと腕を触ると、冷たくなっている。

そして胸元は汗をかいている。

 

風邪の時に熱を出して汗をかいているが、寒気がするような

ちぐはぐな感覚。

これが夜中から朝まで続けば、当然熟睡できない。

熟睡できなければ、疲れが残り走りに影響が出るのはもちろん、

仕事にも影響が出る。

 

エアコンをつけなければこのちぐはぐさは無いが、

汗にまみれて熟睡できない。

どちらにしても疲れは残り、仕事中は生あくびだ。

 

長距離系の私は体脂肪がきわめて少なく、体重も軽いので、

基本的に基礎代謝が大きくなく、熱を作るエンジンが小さいので、

外的気温のの影響を受けやすい。

雨が降れば一気に凍える。

 

無い物ねだりだが、体の大きな選手に憧れる。

大きな体で山を駆け上がり、平地はその体型を生かして風を切り

突き進む。横風が吹けばチャンス到来だと、上げまくる。

春先の雨にも凍えず、厳しいレースで生き残る。

古くはエディメルクスやインデュライン、今ならジルベールサガン

 

日本に生まれてよかった。

気候もヨーロッパに比べて厳しくないし、地形的にも

直線の横風区間が多発することは殆どない。

海外で走ればわかるのだが、大体において気候は日本より厳い。

そして、道路は悪く、コースは難しい。

当然日本語は通じず、コンビニも日本のようにはない。

 

そんな海外へ出ても通じるタイプ・・・

裸のような格好で眠り、細いタイプの人が、『寒くて眠れなかった』と

言うところを『え、気づかなかった』と言ってのけるタイプ。

胸板が厚く、走っている姿を横から見ると、お腹が出ているような体形。

物怖じせず、大事なレース前でも冗談を言って笑っていられる性格。

 

困ったな。全部持ち合わせていないではないか。

いつも言ってること・・・

無い事を嘆くより、どうすればない部分を補えるかを考える。

その方がずっと生産的だ。

ああ、今日も湿度が高く寝苦しそうだ。

 

嫌いで好きなエアコンをつけて寝るか。

 

労働意欲の源泉は・・・

 

なんと表現したらいいのだろう。

殺人的と言うか、皮膚をじりじりと焼かれる感覚。

湿度はMaxでエアコンの部屋から出るとムッとする。

毎年こんなに暑かったかな。

 

30度前後までなら、気合で我慢が出来るのだが、

そこから先はダメ。

35度越えはスポーツする気温じゃないね。

スポーツどころか、仕事もやる気がなくなる。

 

実は昔から労働意欲に乏しく、20代のころは30歳までに、

30代のころは40歳までにと常にリタイヤを考えている。

今は50前なのであと数か月でリタイヤは無理なんで、

今の目標は60までに寅さんになる事。

それって普通の定年退職…

 

今の仕事は家業で地域に縛られる仕事。

地域密着と言えば聞こえがいいが、地域の様々な・・・

経済的な問題や人間関係の渦に巻き込まれる。

旅が好きなのに、出張もないので気分が変わらない。

他人の芝生は青いと言われるが、全国各地を営業で回る

生活なんて憧れる。

楽でストレスのない仕事なんてこの世に存在しないことぐらい

知っているけどね。

 

あれもしたいし、これもしたい。

お金よりも、時間が欲しい。まとまった時間が。

仕事がしたくないのではなく、他の事がしたい。

だから仕事をしてる時間がまどろっこしいのだ。

 

色々なしがらみが有り、結局いつもの街でいつもの仕事を続ける。

何時かは仕事を辞めて・・・と想像しながらやっぱり

仕事を積み重ねる。

 

ああ、イタリアに行きたいな。