季節の変わり目に想う

シーズン中は自転車競技が忙しくて、遊びも含め

色々な事をシーズンオフまで先延ばしにしてきたので

今は飲み会やら旅行などで忙しくも楽しい毎日を送っている。

自転車にはほとんど乗っていないこの頃だが、あまり落とし過ぎると

後が大変なので、ぼちぼちは乗って行こう。

 

週末はスキーの仲間と事故で亡くなった友達の

追悼旅行で長野県は小谷村に行ってきた。

晩秋から初冬へ色彩を変える風景を堪能してきた。

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帰り道に安曇野あたりで、安曇野と言えば大石さんの店が有ったよな。。。

と、思い出し、急遽ナビで探してみると回り道にもならず非常に行きやすい

立地だったので、アポなし訪問を敢行した。

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●シクロオオイシ ラヴニール

突然の訪問かつ、20年ぐらい会っていないにもかかわらず、

名前を語らない私をすぐに誰かわかって頂いたことはうれしかった。

時間もなくあまり長居は出来なかったが、楽しい時間を過ごさせて頂いた。

やはりともに海外遠征へ行ったり、同じレースを走った(負けてばかりですが…)

先輩ではあるが大きな意味での仲間は一生の宝だと再認識させられた。

 

大石さんと話していて印象的だったこと・・・

自分の生き方にビジョンを持ち、自然体で生きておられる。

『ロードレースをやってたおかげで多少の苦しさ、辛さは感じない』と。

やっぱり、一流の選手は胆の座りが違うな。

今だふらふらと惑い続ける私には思うところ満載の時間だった。

ちょっとだけいいカメラを買ったので旅の写真を数枚上げてみる。

旅は良い。次なる動きへのエネルギーになるから。

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シーズンオフにつれづれに想う

沖縄と幕張での試合が終わり、ロードレースのシーズンオフを迎えた。

最近はシクロが人気で、泥遊びに精を出す面々も沢山いて

明確なシーズンオフを取らない選手も多い。

肉体と精神の回復をその人が必要としないなら、オフは絶対必要な

ものではなく、通年をシーズンの感覚で過ごしても良いと思う。

 

人によって人生における自転車競技のポジションはまちまちだ。

遊びでやってる人、ちょっと本気でやってる人、

命懸けでやってる人。

私自身はやるなら命懸けに近づきたいと思っているのだが、

命を懸けてやってるとは言えない中途半端さが随所にある。

 

若き日は自転車の事だけ考えてればよかった。

今考えれば幸せな日々。。。

しかし今、仕事をしていると日々諸問題が襲ってくる。

心を悩ます問題、時間を取られるトラブル・・・

それらを理由にしだしたらキリが無いことも知ってはいるが、

やはり心はゆらぎ、体は取られ、流されていく…。

 

年齢の影響もある。

50歳が20歳と同じように走れるはずはない。

確実に、そして静かに忍び寄る各身体機能の低下。

これは避けられず、人と戦う前に自分との戦いだ。

 

1年前、3年前と今が同じ身体の状況なら、同じ努力をすれば

同じ結果が出るだろう。

しかし、年々衰える身体で1年前、3年前と同じパフォーマンスを

出そうと思えば、トレーニングの質・量を見直し続けて行かなくては

ならないと思う。

 

質と量の微妙なさじ加減、そして疲労のコントロール

自身のレベルを維持しようとすれば、年齢が進めば進むだけそういった

ものの精度を高めることが必要になる。

ただ一生懸命練習しているだけでは、ダメなのだ。

昨年と同じことを同じようにしていては加齢の逆流に押し流される。

 

でも、流されてもいいとも思う。

加齢で体力が落ちるのは自然の摂理なのだから。

それはそれで、ある意味美しいではないか。

ただ、流されてもいいと思った瞬間に事実流されるだろうし

若い選手と共にE1のレースで戦う事は出来ないだろう。

そこで走りたいか、走りたくないか。

ただそれだけ。

 

結局は与えられたキャンパスにどんな絵を描きたいかって事。

『こう書きたい』と自身が想いを持っていれば、誰も反対はしない。

さて、どんな絵をかこうか・・・

 

反省だけならサルでもできる

 

もうだいぶ日が経ってしまったが、少しレースの事を書こう。

舞洲クリテリュウム・・・

春と秋の2回開催される平地のオーバルコースをぐるぐる回る。

コーナーでのスピードダウンがほとんどないため、クリテリュウム独特の

後が不利と言う状況はあまりないコースだ。

 

春の舞洲では前2シーズンほど実業団活動を休んでいたので、

E3での参加となった。

実はチーム内で春に公表した私自身の今シーズンの目標の一つに、

5月末の3day's熊野はE1で走ると言うのが有って、このレースで上に上がる事

(3位以内は特別昇格)を目論んでの参戦で、2位になりE2への昇格した。

 

舞洲に続き、E2で参加した堺で優勝し、それ以降はE1で走っているのだが、

流石にプロの前段階とプロから降りた人が行きかうカテゴリーだけの事は有り

現在の私の実力では、作戦と展開とコースが完全に一致した時だけ入賞の

可能性が有ると言うのがここ最近の実感だ。

 

話しを秋の舞洲に戻す。ぐるぐる回っていただけのレースなので、ドラマチックな

展開は無いのだけど、ちょっと気になる点が有ったので書いておく。

終盤で8人の逃げが決まったが、それを追撃する動きが全くおこらない。

入賞は6位までだから、逃がせば入賞は無い訳で、下位でも着を取りたければ

前を追わなくてはいけないはずなのに、そういう動きもないままにだらだらと

集団は周回を減らし、そのままゴールするのかと思えば8位以下のスプリントを

もがいている。

 

入賞は無くとも、ポイントは着順に応じて配点されるので、

もがくのは解らなくもないがなぜ私がラスト3周あたりで、

半周引きをしてペースを上げているのに、続く若者が

いないのか、走り終わってからも釈然としない気持ちが残った。

選手としては9位も20位も50位もたいして変わらないと思うのだが。。。

 

その翌週に行われた、経済産業大臣旗ロードチャンピオンシップ。

その昔は通商産業大臣旗 全日本実業団ロードレースと呼ばれていた。

西と東で実業団レースが開催されてその精鋭が全日本実業団で戦うと言う構図で

今では参加の資格制限はないけど、一時期東と西の上位50人と言う制限が

あったと記憶している。西日本実業団が西日本クラッシックになり、

全日本実業団が名前を変えた。ちょっと違和感があり、馴染めないのは、

年齢からくる対応能力の減退だろうか。

 

試合は西日本クラッシックで5位だった広島森林公園周回コース。

正面勝負で通用しない事は西日本でいやというほど解ったので、

じっとチャンスが来るのをまつ。

が・・・

 

じっと待っているうちに、最終周回の勝負どころを迎え、

千切れてしまった。

チーム員のまっちゃんが入賞してくれたのがせめてもの救いだが、

じっとしていただけで、何のアシストもできず、自分自身も

入賞もできなかった。

着を狙い、力を温存すると言う事は裏を返せば、消極的なレース。

まして、最後で千切れては何にもならない。

 

結果だらだらと26位でゴール

”何のために試合に出てるのか”と言うレースをしてしまった。

試合は優勝しないと常に反省が付きまとう。

上を目指す選手にとって入賞は喜びではなく、1位に負けた

自分の弱さを知り、悔しさを募らせる。

そういう気質が有るから、上へ行けるのだろう。

 

満足し、納得すればそれまでだ。

若者よ、入賞で納得するなよ。

勝ちにかかれよ。

 

今週末は知多半島・美浜クリテリウムだ。

出る以上は優勝を目指して走る。

 

不調期と心の靱性

 

今年は、例年に比べて調子の浮き沈みが

少ないので喜んでいたのだが、そうは問屋が卸さない。

こっちが忘れていても必ずやってくるのが、

税金の納付書と不調期だ。

 

絶対来るなら、来た時の対処法が重要だ。

戦う・・・不調は無視してとにかく走る。

逃げる・・・練習を休むか、強度を落とす。

大きくはこの二つかな。

 

しかし、その前に何故に走れないのかは分析したい。

練習していないから走れないのは当たり前として、

練習しているのに、疲れもないはずなのに走れないのは

なぜなのか?

 

栄養補給が間違っているから、回復ができない?

休養の取り方が悪い?

睡眠が適切でない?

距離、強度が過大で肉体の成長と同調していない?

 

原因は色々で、実は私も完全にはコントロールできない。

ただ、自転車に乗らず普通に生活していても、朝起きて

”今日はなんか怠いな”と思うことも有る訳で、調子の浮き沈みが

あってこそ人間で、ツールでポデュウムに乗る選手たちは

3週間ほぼ失敗せずに走り続けていることを考えると、

あまりにも驚異的であり、サイボーグ的だ。

 

靱性と言う言葉が有る。

工業の世界で材料が折れにくく、しなやかな事を言う。

工業系に明るくない人はイメージしにくいかもしれないが、

フレームや部品、工具などの材料はいたずらに硬い方が良い訳ではない。

一般に硬くすれば硬くするほど、靱性が失われ折れやすくなる。

 

フレームは適度なしなりがあるから、筋力を有効に道路に伝える。

投げ釣りで、遠くまで仕掛けを投げられるのも竿がしなるからだ。

工具でもあまり堅さを出すと、折れたり欠けたりしてしまう。

 

しなやかさって大事だなと、この歳になってつくづく思う。

頑固一徹でやれるのは勢いが有り、つまづかないうちだけ。

長く競技・・・人生をやっていると、頑張りだけでは解決できない事が

必ず出てくる。

その時に、心のしなやかさが無いと、心が折れる

 

結果が出なくても、調子が悪くても投げ出さず、

ポジティブに捉え少しずつ改善していく。

不調期には絶対的に威力を発揮するはずだ。

 

実は私も性格的にしなやかさが不足しているのを自覚している。

もう少し、柔軟ものごとを考え実行できないかと思っている。

解っていてもできないのが自分の事だ。

 

明日も走る。

眠くても起きて走る。

そこは柔軟には考えられない。

内容はともあれ、外には出る。

シーズンはもう少しで終わる。

頑張ろう。

 

練習に伴う周辺作業

 

相当長い間更新をさぼってしまった。

基本的にマルチタスクに耐える能力がなく、

仕事で追い込まれると、他の事が停滞してしまう。

自転車の時間は何としても確保するので、

段々とブログの更新の時間が無くなるのだ。

 

特にドラマチックな人生を歩んではいないが、

日々生活していると色々な事が起こる。

それを一つづつ処理していく。

楽しかったり、悲しかったり、怒りを感じたりだ。

たとえ悲しくとも、怒りを感じても進めなければ

いけない案件は、進めなくてはいけない。

眼をそらして、棚上げしてみても人間の身体とは違い

自己回復はしないし、むしろ時間の経過と共に悪化する。

やるしかないのだ。

 

自転車の練習は継続性が大事。

いかに密度が濃く、内容が充実した練習であっても、

週末だけの練習で強くはなれない。

回復はもちろん重要だが、回復したら速やかに次の練習へ

繋げていかなくてはならない。

 

スポーツマンと言う観点でなく人間を一生物として見た時、

不必要な筋肉は基礎代謝を高めてしまい、生きるための必要最低限の

摂取カローリーのハードルが上がってしまう。

つまり、餓死の危険性が高まる。

人が原始人だった時代は、餓死はいつも生活のそばにあったはずで、

無駄な動きはせず、食べるとき以外は動かず、カロリーの消費を押さえ、

脂肪を貯めこむのは自然の摂理で、現代のスポーツマンが作り上げた

体脂肪率が極めて低い、マッスルボディは極限状態で生き残るのには

難しい体なのかもしれない。

故に、練習を止めると体はすぐに元に戻り、体脂肪率は一気に上がるが、

それは自然の摂理であり、正しい体の恒常性なのかもしれない。

 

生物的に普通でない状態を維持し続けるには不断の努力が必要になる。

そして、それに伴う周辺作業も必要となる。

それは、良質な食事、マッサージ、サプリ、睡眠などだ。

練習のやりっぱなしでは一時的に強くなっても長続きはしない。

どこのチームにも急に強くなり急に消えていく人がいる。

素質を感じさせ未来を嘱望されたのに消えていく人がいる。

理由は様々だが、周辺作業をうまくこなせているだろうか。

 

練習に伴う周辺作業をスムーズにこなせるようになるには

ある程度の年齢に達しないと難しいのかもしれない。

若いと言う事は体力が有り、回復力が強いので、周辺作業が

スムーズでなくても勢いで行ってしまう事が有るが、

キャリアと共にその辺りも磨いて行かないと、次のステップへ

進むことは難しいと思う。

 

どこまで自転車競技を生活の中心とするか、どこまで強くなる事を

追い求めるかは人それぞれだが、自分の能力がどこまで通用するのか、

究極の世界とはどういうものなのか、それを垣間見たいと願うなら

少しずつ階段を上って行かなければならない。

 

誰もが努力すればチャンピオンに成れる訳ではない。

今更そんな幻想を押しつけはしない。

だが、究極の自分を求める過程にこそ重要な意味が有る。

プロでない競技者なら尚更だ。

 

競技をやっている、このブログの読者はこの冬を有意義に過ごし

来シーズン辺り、究極の自分探しをして欲しいと願う。

 

 

究極の鋸に見る精度感

 

ストラディバリは300年以上前のイタリアの弦楽器製作者。

彼の作品ストラディバリウスと言えばは誰でも知ってるだろう。

その最高峰と言われる音色を手に入れるには少なくとも

億の単位の資金が必要となるようだ。

オーケストラと聞くと眠くなる私のようなタイプには無縁だが。

 

先日何気なくTVを見ていると、ストラディバリウスを修理する

イタリアの工房で日本の鋸(のこぎり)が使われていることを知る。

億単位の物を加工する訳だから、職人は道具に拘る。

切れない道具、使いにくい道具では直すどころか別の部分を

壊してしまうことも有るだろう。

 

その鋸は新潟県長岡市中長鋸製販で制作されている。

イタリアの職人に、これが無いと仕事ができないと思わせる

超極薄の刃は0.25㎜で、新聞紙にして3枚分の厚さだ。

 

TVではストラディバリウスに、極薄歯の鋸を入れるシーンが

写っていたが、相手は億単位の貴重な楽器だ、相当な緊張が

伝わってきた。失敗は許されない。

職人が最高の道具を求めるのは当然の事だ。

 

鋸の制作場面も放映された。

何年たっても新品同様の切れ味を維持するとイタリア職人に

言わせしめる鋸は、もとは鉄の板だ。

鉄の板を焼いたり、急激に冷やしたり、歯を立てたりし

相当な時間と技術をつぎ込み、仕上げられる。

美しくも機能的な道具。

素晴らしい精度感だ。

精度感…

 

精度感を高めている。自転車の話しだ。

精度感と言う言葉の使い方が、合っているのか

間違っているのかは置いておいて欲しい。

心の中に出てきた表現だ。

 

自転車競技においての精度感とは何を示すのか?

それは、走り方、機材、食事、練習方法、考え方・・・

自転車競技に係る全て。

 

とっても残念で嬉しい事に今月50歳になる。

無事ここまで生きてこられたことに感謝だ。

感謝はするが、一競技者として考えれば年齢は残酷だ。

年々ベースは落ちて行き、疲労は蓄積する。

前年と同じだけ走れると言う事は、強くなると言う事。

普通にやれば年々弱くなる。

 

精度感を高める。

若いときはただ走ってるだけで強くなる。

歳をとればただ走っていれば疲れるだけ。

時間だって若者の様には無い。

限られた時間、限られた体力の中で如何にして

強くなるか・・・

 

自分に何が必要か、どんな練習が必要かを常に考える。

睡眠時間の確保、食事の検討。

ウエイトコントロール。サプリの摂取。

適切な機材を選び、適切な試合に出場する。

試合での走行位置や走りのマネジメント。

何度もアタックし、数撃てば当たると言うような

走りは、憧れはしても絶対できない。

 

ありとあらゆる、成績に関連する事の精度を高める。

色々と失敗したり、故障したり、効果の薄い練習を

している体力も時間もない。

極端に言えば、試合に向けて取る行動の全てが

表彰台の方向を正確に向いているイメージだ。

 

今の私の状況は刃物に例えれば、研ぎの段階だ。

もう、根本的には強くはならない。

絶対的な強さは20代がピークだ。

しかし、全ての精度を上げて戦えばもう少し頑張れるだろう。

 

精度感を上げて明日も朝練。

共に走る選手なら何かを吸収できるはずだ。

自転車競技者の「脚は口ほどにものをいう」はずだから。