チームプレーについて考える

先週の木曜日の固定ローラーでの追い込みで、咳喘息が悪化して普通の生活に

支障が出てきたので、そこから自転車には乗っていない。

金曜日は仕事なので、乗らなくても特段気にはならないけど、土曜日のように

暖かくて、晴れていると、運動中毒になっている体は、運動を求める。

ちょうど仕事場の町会の節分祭りがあり、その役員で参加したので、

気分は紛れたが。

 

日曜日も自転車に乗らないとやたら一日が長い。

3時のおやつに、チョコを食べたが、なんだか罪悪感を感じてしまう。

オンかオフしかできないこの性格どうにかならんかな。

 

シーズンを前に実業団選手のチームプレイについて少し考えてみたい。

ツールドフランスに代表されるプロのレースを見ていると、

素晴らしいチームプレイが見られる。

カベンディッシュをけん引するクイックステップだったり、フルームの為に

トレインを組むスカイであったり。

 

彼らはプロであり明確に自分の役割を与えられ、また、それを完全に理解している。

・リーダー、エースを牽引し、安全な場所を走らせる。

・ライバルのアタックをつぶす。

・仮の逃げを打ち、ライバルチームの脚を使わせる。

・スプリンターの発射台となる。

いずれにしても、その行動はリーダーやチームの為のもので、自分が勝つ為の

最善の行動ではなく、特に牽引的なアシストは、すればするだけ自分自身の

脚を削り、勝利の可能性が低くなる行為となる。

 

彼らがそれを迷いなくできるのは、たとえレースが完走のみに終わってもその

アシスト自体が、”仕事”として正当に評価されるからだ。

そのアシストの先にエースの勝利が有れば良い訳で、彼らはその”仕事”をして

お金をもらっている。

まさしく、プロだから成り立つ事だ。

 

さて、アマチアである私達に、チームプレーは必要だろうか。

誰かを勝たせることを意識して走れば、自分の勝利や成績は二の次になる。

自分の成績を捨てなければ、有効なアシストなんてできない。

 

アマチュアである私達は趣味で自転車競技をやっている。

趣味を超えたような追い込みや、プロ以上の長距離の練習に汗を流す、

愛を持って”変態”と呼ばれるメンバーも沢山いるが、どこまで行っても

趣味は趣味であり仕事とは違う。

自己実現であり自己満足の追求。

高尚な大人の遊び。

 

少ない時間を工面し、食べたいものを我慢し、朝の暗く寒い時間に意識が

遠のくような追い込みをする。

自費で自転車を買い、自費でレースに参加している。

そんな愛すべき”変態さん”に『君は今日はアシストな、完走できなくてもいいから

引きまくって』

とは監督であっても、簡単には言えない。

 

皆それぞれに、自分の練習の成果を、レースにぶつけに来ているのだ。

「今日は勝てるかな」、「思い切って逃げたいな」と思いながら。

チームの勝利を考えたときに、捨て身のアシストはとても意味がある。

誰かが誰かの為に、自分の勝利を捨てて先頭を切れば、アシストされる選手が

走りやすいのは当たり前。

繰り返しになるが、それは誰かの犠牲が前提となる。

 

熊野でのステージレースで総合がかかっていたり、ポイント争いが

切迫している場合は、そういった戦術を発動しなければいけない局面も

あるだろうが、普段の大半のレースは、チームオーダーはなしで走ってもらいたい。

逃げたいものが逃げればいいし、チーム員が逃げれば抑えに回るのは当然の事。

ゴール勝負では絶対勝ち目がない人が、ゴール前3キロから自発的に牽引したり、

コースの得手不得手などで本人が何らかの意思を持ってする、自発的なアシスト

まではもちろん否定しない。

自然な形の美しいチームプレーを期待したい。

 

私は目標として”チーム優勝”を挙げているが、そういった理由で、滅私奉公を

強いてまで優勝したいとは思っていない。

幸か不幸か、日本のE1までのレベルで、チーム戦略を発動しないと戦いに

ならないほど、どのチームもチームの動きは機能していないので、ごく普通に

レースに挑めばいいだろう。

 

多くのチーム員から『チーム優勝に貢献できるように頑張りたい』という有り難い

言葉をもらっている。

しかし、イメージの問題だが、チームの為に頑張るのではなく、自分の為に自分の

実力を高めその結果がチームの為になる。そんな思考をしてもらいたい。

 

チーム優勝は皆が最善の努力をして、個人の成績を積み重ねた金字塔でありたい。

誰もがその金字塔を見て、達成感と満足感を味わえるように。